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Posts Tagged ‘幻視’


『資本主義からの逃走』
 「Morpheusの白日夢から」


   


     6月 7th, 2010  Posted 12:01 AM

Morphe
昨日は、うろ覚えだったMorphesは間違いでした。
ひたすら、このブログは毎日の思いつきや思い込みをメモっていますので、
くれぐれもご海容ください。
そこで、
Morpheus; Morpheという人物の存在性に、
私の「幻視」あるいは「幻想」を重ねます。
むしろ、彼の存在、その発想を共有したいと考えるからです。
これは幻想です。しかし、妄想ではありません。
モルヒネ
モルヒネ」という麻薬があります。
まさに、その薬名の由来に関わっている人物です。
人物というより、登場人物と言っておくのが正しいでしょう。
ヘシオドスの「神統記」にはギリシア神話からの話があります。
Thanatos=タナトスに纏わる話です。
タナトスは「死」を司る人物(神)となっています。
この兄弟にSomnus=ソムヌス(Hypnos=ヒュプノス)がいます。
ソムヌスは「眠り」を司る人物(神)です。
そしてこの息子に、まさしく「眠り」の中でも、
白日夢
「白日夢」を担当?している息子がいるわけです。
この人物が、Morpheus; Morpheです。
「白日夢」だけに「日中もうつらうつらしている」のです。
この目覚めてもいない、と言って眠ったもいない状況から、
麻薬;モルヒネという呼称が生まれました。
さて、このタナトス、ソムヌス、モルペウスから、
ある幻想的な発想を引き出したのがゲーテでした。
1817年、彼は自費出版した書物というよりパンフレットがありました。
形態学序説
「Morphology Introduction」=「形態学序説」です。
このいわば幻想、あるいは、カオス的な状況から「形態」が生まれるという話は、
パウル・クレーの「造形思考」にまで繋がっているのではないかというのが、
私なりの解釈です。
私は、本来、「形態学序説」こそ、デザイン造形学の定本と考えてきました。
ところが、「形態学序説」は、医学領域で「形態発生学」、
あるいは「形態発生論」に伝統的な連続性を蓄積しています。
これは、「なぜ、内臓の形態が誕生してからある形態に至るのか」ということです。
私はむしろ、デザイン造形すなわち、
「形態造形」はゲーテの発想に大きなヒントがあると思い、
そんな発想論=白日夢的な中でぼんやりと、
観念的、概念的に浮かび上がってくる「形態」を当てはめたいと考えてきました。
前置きが長くなりましたが、
「資本主義」という「形態」から逃走して「どんな次形態」に入り込むべきなのかが、
このブログの考察メモ結果です。
「形態学序説」は「形態学」=Morphologyを提言してくれたのです。
私はあくまでもデザイナーという立場から、
Morphologyという背景を、あたかもMorpheusのように、
幻想から、確実な発想の持ち込みたいと考えている次第です。
私は、このブログの次の下敷きに「形態学序説」を置きます。


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『資本主義からの逃走』
ブログ情報と『つぶやき』NetworkはMorphesかもしれない」


   


     6月 6th, 2010  Posted 12:01 AM

ブログと「つぶやき」の双方向性

私は、次の言葉を、現代問題のキーワードであるがゆえに、
「再検証」と「再定義」が不可欠になっていると考えてきました。
キーワードが日本語であれば、
その日本語元来の意味=原意は中国の古典書や漢字原意からの経緯があります。
しかし、言葉は「時代とともに」意味を変貌し、変質させてしまうものです。

情報
環境
福祉
病院

などのキーワードに焦点を当てて、ほとんどメモ的な記述をしておきました。
一つ一つを掘り下げていけば、
それは「論文」となるほどの熟考結果とラング転換の論理構成が必要だと思います。
さて、このブログタイトルは「資本主義」への考察を行っていますから、
多分、なぜ、言葉・キーワード・原意などに拘っているのだろうか、
そう思われている読者諸兄もいらっしゃるでしょう。
しかも、「難解だ」とか「一人よがりな文章」であることも自認しています。
この場はあくまでも、私のメモであり、
毎日、現代の基盤である「資本主義」とそのまた基本・基準、
「民主主義」への大変更を私は目指しています。

三人称つぶやきが二人称となる
毎日、ここに記述し書き残すこと=記録は、
「私の熟考」=一人称的な想いであり、思索です。
そして、二人称としては、まずワイフに今日はこんなことを書き残したとか、
私のスタッフや学生や友人・知人には、「あなた」に向けている、という思いがあります。
そしてこのブログは、
TwitterというSocial Networkでのいわゆる「つぶやき」に連動しているので、
ブログに対するコメントとはまったく異なる「つぶやき」批評が届きます。
これは、三人称からの返信ですが、
明らかに、私の二人称相手が増加しているのです。
私はコメント掲載は受け取ってもその掲載は控えてきました。
どこかで、ブログという情報発信に対するコメントという形式が
絶対に「変わる」という直感があったからです。
見事に、それは「つぶやき」という形式がブログにも差し向けられるようになりました。
「Social Network」の登場は、
ブログの形式も変えようとしているのだと確信するのです。

Network主義へ逃走する
結論を急げば、「資本」は、確実に「情報」になってきました。
無論、日本語「情報」は、私流には再検証と再定義しなければなりません。

Morphesがつぶやいている
だから、「Social Network」での、政治・経済・文化などの世界観、
すなわち「新しい主義」が生まれようとしているのでしょう。
とりあえず『「ネットワーク主義」へ逃走』という仮称」への近傍観、
つまり、トポロジー観が、私にはその香りが漂っている気がします。
これが幻視であると突き放しつつも、
改めて、この幻視=Morphesの白日夢に漂っていることは間違いありません。
Morphesって誰なのでしょうか?


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