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「新たな日本ブランド・なでしこJAPAN」


   


     7月 19th, 2011  Posted 12:00 AM

明らかに女性の時代でしょう。
サッカー競技とは、
スポーツが戦争の文化的進化、
その象徴性と平和性を最も競争と競走を
統合進歩させてきた人類の知的な歴史成果です。
30年という歳月を要したということですが、
女性サッカー競技=競争において、
日本は新たなブランドを創りあげました。
「なでしこJAPAN」という競争集団です。
「なでしこ」とは日本の草木として、きわめて一般的であり、
カーネーションもその一類に属する物ですが、
かよわいたたづまいながら、
小花であり華美さも派手さもありませんが、
人を引きつけるつつましい美しさのある花です。
準決勝から決勝まで引き込まれるように、
団体スポーツをさほど好まない私が見入ってしまいました。
スポーツ競技には、必ず伝統性が宿ります。
その伝統性には、能力の連綿とした集積と継承性が宿ります。
その上、伝統であるだけに前世代を否定しつつ、
常に同時代との共時性を身体化していく集団力が必要です。
「なでしこJAPAN」はそれを見事に体現化していました。
そして何よりも、涙が無かったことです。
無論、勝利すれば感涙あって当然でしょうが、
私は、スポーツと泣くという昨今の感情表出に、
ある種の違和感を持っていました。
私など観客の一人が、彼女たちの活躍に涙するのは、
もう明らかに老齢現象だと認めざるをえませんが、
むしろ男性スポーツに感涙を見るときの違和感がありました。
つまり、女性たちの揺るぎない自分らしさの表出は笑顔。
試合中も笑顔あり、真剣さに笑顔で立ち向かうこと。
これを国難への大きな態度と姿勢と言うのは大げさですが、
少なからず、現状のわが国にあっては、
日本ブランド=なでしこJAPANが世界一になった効能こそ、
「世界一でなければこの小さな存在性」=アイデンティティ、
かけがえの無い大切さを共有する国家存在はありえないのです。
「世界一である必要性」はわが国の存在性の確認に直結。
まさに「なでしこ」という花に象徴された女性の実力、
これを絶賛するとともに、
新たな日本ブランドが生まれたことを喜び、ここにこそ、
大きな希望・祈望・企望があることを確認することができました。
私は団体競技競争よりも、個人競争が好きなタイプですが、
あらためて女子サッカーによって、
団体競争としてのサッカー競技のフェアさ、
そして新ブランドになった女性チームに心底感動しました。

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