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『勘違いディフォルメ写生は伝統では無い』


   


     7月 6th, 2015  Posted 12:00 AM

「伝統って何ですか?」とこれまで何度も聞かれてきました。
私が伝統工芸にデザイン導入をして、
ふるさと福井では特に「タケフナイフビレッジ」を創ってきたからです。
伝統=トラッドは、世界的に一つの意味に集約されています。
「統」という漢字には明確にその意味がありました。
それは糸口となることを単に伝えていく伝承とは、
全く意味が違っていて、「裏切る」という意味があります。
端的には、父親の仕事を裏切って=破壊して、
新たな技法を発明して繋いでいくことを伝統というわけです。
ところが、最近の焼き物や日本的な文様を見ていて、
とても気になるのは、日本に限らず欧州の伝統工芸と思える意匠に、
デッサン間違いを多く発見します。
特に、意匠とすべき写生体験の欠落です。
鳥の嘴や足の形、魚の口、植物に葉脈、花弁などはデッサンが狂い、
それをあたかもディフォルメされたかのような意匠にしていること。
こうしたお店で、私は」ついつい大声でワイフに言います。
「コレ、またデッサン間違っているぞ〜」と、
ワイフはそんなに大声で言わないことと窘められます。
が、時には、お店のご主人が出て見えて、
「そうなんです、間違っていますが、日本画の大家の先生なので・・・」。
そんなとき、私のような者でも発見していたと伝えて下さいと。
美大生時代はスケッチの基礎である写生で植物や鳥などを随分描きました。
元来、美大ではすでに高校時代に絵が上手かった級友だらけでしたから、
彼らについていくには、私自身、相当に写生で静物画が描き、
特に、葉脈や花弁、嘴、魚などを描きましたから、
デッサン無しの伝承的なまやかしディフォルメは認めることが出来ません。


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「オーディオの恩師はダンディズムの恩師でもある」


   


     5月 19th, 2013  Posted 12:00 AM

オーディオからデザイナーになってきたことは、
私の最大の幸運だったと本当にそう思っています。
これは2002年7月4日25年ぶりに恩師の本宅前で会った写真です。
オーディオ評論家という人たちには、
オーディオ機器のデザインというよりも、
その本質である音質を技術性能や営業投資効果と、
その評価と判断を受け、なおかつ彼らの推奨をもらうことでした。
正直、私はほとんどの評論家、
彼らのセンスを認めていませんでした。
本当に、人間として最悪な商業主義の方もたくさんいました。
高校時代に会ってたら、殴っていたと思います。
本当に信頼し、人間としてはもちろんのこと、
オーディオだけの評論家よりも、音楽から芸術まで、
さらにデザインとなると、当時はほとんどが駄目でした。
たった3名を私は認めていました。
ついでに述べれば、当時、いつかはこの人も評論家になる、
そんなことを幾ばくかの上司からも聞かされながら、
「あの人になったら、最悪だ・・・」。
まさに、現代、そういう評論家が大家と言われていますが、
本当に最悪の評論を書いています。
親しい教え子たちには、
あの人の評論なんて無視してかまわない、と伝えています。
そんな中で、私の恩師は、西洋人形からパイプから、
ともかく「ダンディズム」ということの本物を知りました。
恩師とともに、あるオーディオ誌で連載を持ちました。
しかし、編集部方針には合わず、すぐに辞めました。
あの時の私の予測に、現代はなってしまっています。
その頃、<そんな時代になるわけがない>とか非難されました。
ところがどうでしょう。
やはり、商業主義方向はさらに進んでいまやベッタリの誌面です。
オーディオの物欲は、ダンディズムの極致です。
オーディオ機器の前に、音楽があり音響があり、機器があります。
それどころか、基本は科学性と芸術性が見事に、
デザインに集中しています。
「デザインベクトル」はオーディオに突き刺さっていますから、
それはダンディズムそのものの物欲を超えることかもしれません。


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