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Posts Tagged ‘変える’


『ウクライナは侵攻ではなく「侵略」だ』


   


     4月 10th, 2022  Posted 4:20 PM

子供を、、恋人を、家族を、守ることは、
決して米国民は「戦争を変えた」から、
発言は変えるべきだろう。
ロシアの「プーチン戦争」は、イデオロギーの変換を
やるべき時代になっている。
「国連」の組織変更は、「原爆を保持している国家」は
やっと、大きな「変更」を認めるべきだ。
日本の「武器」=BUKIは世界語にしてほしい。
武器を「兵器では無いこと」である。
ズーッと我慢をしてきたが、
やがて、日本は「産油国になる」ことは、
以前から研究はされていた。
「子供を、、恋人を、家族を」を守ることは、
国家の大事で大切なことに「今」はらるべきだ。
日本は、新たなBUKIで「原爆」も持ち、
「レーガンレール」というBUKIも持てるだろう。
スナイパーも、持てるだろう。
日本の「防衛軍」は、BUKIで防衛をかかさないことだ。


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『資本主義からの逃走』
    「変革は『正道』を逃走することなり!」


   


     8月 4th, 2010  Posted 12:00 AM

変革の正道
私は改革は望みません。
改革をアジテートなどしたいとも思っていません。
「変えたい」という意欲と意志があるだけです。
改革を推進するようなタイプではないと思って生きてきました。
それは自分でも「変」な人間だからです。
「変」=異常さに在るからこそ、現状を異常化させて本道にしたいのです。
だから「変える」対象=デザイン対象に恋い焦がれるのです。
恋い焦がれて、必ずモノにしたい。
本道に置かれるモノにしたい。
その本道とは「正道」です。
私はこの根幹に「」と「公」を対照化して見詰めることにしてきました。
私が「正しい」ことを公的にも「正しい」ことです。
まず、正しいことが無ければ、「美しさ」が付いて来てくれません。
私はこの「正道」を残された時間に、
デザインで語る=モノのデザインにしていくことだと決めています。
すなわち、「八正道」を語り尽くす「変革物語」を残したいと考えています。
今、資本主義、それはキリスト教義に強く裏付けられた思想の具体化であったことこは明白です。
敗戦後の日本は、仏教よりは、キリスト教的な裏付けで経済的な発展をしてきました。
しかし、その限界にきてしまった原因に立ち戻ることさえ忘れてしまったようです。
日本人にとっての、「資本主義」に「変革」すること。
それは現状の資本主義から、私は「正道」を通って逃走することだと私は考えています。


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『資本主義からの逃走』
   「革新は、改革なのか変革なのか?」


   


     8月 3rd, 2010  Posted 12:00 AM

革新には二つの方向
「革」、特にクロコダイルとブリザードが大好きです。
しかし、クロコダイルの皮革商品はこれからは貴重品になるでしょう。
地球環境の天変地異が動物たちの存続を怪しくしています。
この地球環境を「変える」ことは、デザイン対象です。
私は「変える」、「変えたい」と常に思って生きてきました。
昨日は「変える」というのは、
対象に「恋する」意欲、意志に近いと記しました。
その理由も至極、語源的であり、
「變」と「戀」にその意味が覆い被さっているという私見です。
さて、革新とは、対象が「革」を木を切り倒した切り口のようにすることです。
それが二通りあります。
私は、「改革」と「変革」には大きな違いがあるから、
相当の吟味が必要だと考えています。
特に、政治家や企業家のリーダーはこの二つの大きな違いを無意識ですから、
決して実現などしないのでしょう。
私はデザイナーだから、デザイン対象を詳細に見詰めます。
結果、若い頃には、企業家=社長に向かって、
「この企業でのデザインは、改革ですか変革ですか?」
この質問をしたおかげで、
生意気という評価と仕事はいただけない経験をどれだけしてきたことでしょうか。
おかげで、私のこのデザイン対象の再認識手法、
それを支援していただいたリーダーの器量ある企業での商品開発は「革新」でした。
だから、失敗は皆無だと自負できます。
そして、革新をめざしてデザインしたモノは、
ロングライフ製品や、海外の美術館に永久収蔵されています。
私は「改革」は目指しません。
それは、改善、手直しただけであり、革新と言うほどのものではないからです。
変革をめざす
いつでも「変革」をめざしてきました。
対象は「革」です。ピーンと張った革にも関わらず、
その不安定な革、
いうなれば、ピーンと張っていても
まさしく時代の風の中で揺れているというより吹き飛ばされそうな状況を
「変える」のです。
「変革」に恋する自分でありたいのです。
「改革」ではもうはや本当の「革新」には至らないとすら思っています。


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