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『資本主義からの逃走』
   「風土とゲマインシャフトがグローバルへ」


   


     11月 14th, 2010  Posted 12:00 AM

生命力を培う風土
風土とは後漢時代の説文解字です。
土地への四季・気候、あたかも風のごとく、
その天地に宿る生命力を培うことを表す言葉です。
私が、医師からふるさとに帰れといわれた意味を知ります。
「生まれ故郷には、生命力を守ってくれる力があるから」ということが理解できました。
「活性化の三要因」
そして、伝統工芸の産地では、地縁・血縁社会=ゲマインシャフトがその労働を支えていました。
この産地現場に資本主義の論理には何かズレがあるという懸念もありました。
「火造り鍛造」の現場では、真っ赤になった鋼を鍛錬し、水に浸すという交互の作業です。
温度の制御がありました。伝統技は経験で蓄積されてきた濃密な知恵でした。
私は、こうした作業の中で、デザイナーの立ち位置が次第にはっきりとしてきたのです。
すなわち、「活性化」という化学的な三つの要因と向かい合いました。
「温度=情熱と冷静さ・濃度=知識と知恵の濃密さ」がまずあります。
そして「触媒となるデザイン・デザイナーの存在としての私」です。
「温度+濃度+触媒=活性化」という図式を産地に当てはめれば、
確実に活性化を起こすことができるということでした。
当時は、「第四次全国総合開発計画=四全総」が立ち上がりましたが、
その目標と目的を遂行する活性策の基本的な認識に、この三つは欠落していました。
すでに「地方の時代」が提言されてからも10年は経過していたはずです。
リージョナリズムからグローバリゼーション
「地方の時代」=ローカリズムという言葉よりもむしろリージョナリズムという論理は、
「風土性」を基盤とした地域・地方主義です。
この論理に、ようやくグローバル=地球全体のことへと関心の方向が芽生えます。
地域風土それぞれの集大成と統合性が見え始めていたことを思い出します。
70年代、80年代、経済社会と自然環境の隔絶が始まる時期に重なってくるのです。
それは、功罪としての地球の共有感と環境破壊を抱え込み、
エコロジーとしての、地域各地の風土性を分断していきつつも、
なんとか共有意識化の始まり=グローバリゼーションでした。


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