1月 22nd, 2013 Posted 12:00 AM
アフリカ、私には想像の及ばない場所です。
アルジェリア、きっとあの場のフランス軍の傭兵部隊は、
戦争映画などのイメージを超えるほどの
戦争以上の現実地獄が存在するのでしょう。
彼の地は戦国時代最中のはずだったのです。
テロリズム、このことばは「戦争」や「軍事」や「殺戮」を
どれほど曖昧にしている概念でしょうか。
日本の商売はこの地においても「正義性」をもっていたのかもしれません。
しかし、私は、わが国が敗戦国家として、
軍隊も持たずに世界への進出を
さも「グローバリズム」とどこかで礼賛していることを、
訝しさと偽善的な国家観を拭い去ることはできません。
パスポートには、明確に、「わが国民を絶対に護れ」と記述がありますが、
そのバックグラウンドの制度を私たちは本当は、真実は、
空白なのです。
もし、邦人が拉致され、人質になったなら、
訓練された軍人という職能家が、直ぐにも乗り込んで、
独自の戦術で奪還してこそ、
「国家」であり、「国際的存在性」があるのではないでしょうか。
政治家でも拉致されて、命拾いした人物でなければ、
その残酷さと残忍さなど分かるはずがないのです。
商売をやらせてやっているという低レベルの国家との関係、
その中で「人命優先の申し入れ」なんてありえません。
もし、
自分の家族が、友人が、いや同胞がこのような極限に出逢ったなら・・・
哀しみではなくて怒りがあるべきでしょう。
私は、いじめ問題、さらには体罰問題、聖職と言われる職能の破廉恥さ、
日本の根底にしっかりと根を張ってしまっている不甲斐なさを
思い知るべきでしょう。
わが国には「武士道」という崇高な危機管理システムの伝統がありました。
あの国家が、見せつけてくれたのは、
ほら、日本が商売されている装置システムは無事でしょう、と。
同胞17名中、10名は未だ分からず、でいいのでしょうか。
資源ほしさ、商売だから、それがグローバリズムの根幹なら、
準備すべき制度は、日本には、日本人にはテロリストは、
「とても怖いから」というイメージを植え付けるべきなのです。
まさに「孫子の兵法・用間」、
その制度とその具体化デザインであるべきです。
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Posted in 企望を「までい」具現へ, 祈望から企望へ
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8月 27th, 2010 Posted 12:42 AM
私自身の文脈
再度時間を戻します。
私がリハビリ病院でのトレーニング、その体験を今、振り返ってみると、
それは「哀しみ」を傍観し客観していただけであったと思います。
まったく主観視はできていなかったのです。
こんな思い出がいまなお去来し、悪夢になることがあります。
人間の「文脈思索の背景にある恐怖感」です。
上京して社会人になったときは、東横線で日吉から銀座に通っていました。
その時、車窓から大きな病院が見えていました。
その病院の体育館=リハビリトレーニング場から、ある日、東横線を見たとき、
〈なぜ、自分はここに居る羽目になったのだろう〉としか思えず、悲しかっただけでした。
この悲しみが哀しみに至るまでが、私自身の文脈が始まっていたのだと今なら思えるのです。
阿鼻叫喚の場
毎朝、ビートルズのOb-La-Di, Ob-La-Daを踊っている人たちがいます。
彼らは精神的な障害を持っている人たちでした。
ほとんど寡黙でまなざしはそれぞれが一点を見詰めているそんな集団は、
その踊りで彼らのトレーニングが終わります。
その後は、頸椎や脊髄損傷(私はその一人)、
そして脳溢血障害で半身麻痺の患者たちのトレーニングが始まるのです。
あっけらかんとした大きな笑い声と、泣き声や叫び声が体育館に毎日響きわたっている場でした。
ここは阿鼻叫喚・地獄かもしれない、そんな恐怖感を何度抱いたことでしょう。
幸いにして、私は恋人がほとんど身の回りを看ていてくれたり、会社の上司や同僚、
大学時代からの親友が絶えず見舞って励ましてもらいました。
だから、その恐怖に負けなかったのだと思います。
一日でも早く退院したい、
その気持ちだけで、次々と車イス生活のためのメニューを米国流で半年ですべてをこなしました。
これは、今、リハビリテーション医療に対してのデザイン提案の源泉になっています。
このブログでも以前に「resign」として記しました。
清々しい自分にもどるべき
メニューの一つをやり遂げると、OTやPTの人が、
「川崎さんは、段差越えをマスターしました、みんな拍手!」と言って褒められます。
ところが、これは拍手をされているにもかかわらず「嫉妬」を買い、
苛められることにもなるのです。時折、病院内で、後から急に引っ張られて転倒させられるのです。
人間社会の縮図は、リハビリ病院にもしっかりと文脈の背景は根付いていました。
私は、「文脈」、その背景には歴然たるものがあると断言しておきます。
おどろおどろしい非人間性が根底には必ず基盤になっているのです。
したがって、「文脈=コンテクスト」を人間的に創出するには、
自分を「純粋培養」させることだと確信しているのです。
それは、東芝に入社したとき、「清々しい自分、デザイナーでありたい」と、登録しました。
つまり、たとえ障害者になっても、維持していける自分で有り続けられるかということでした。
「文脈・コンテクスト」にある非人間性への怒りと全否定がなければ、
「文脈」を「想像」し、そこから「創造」の入り口にはたどりつけないと考えます。
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Posted in 045「身体化した文脈(コンテキスト)」, 資本主義から逃走せよ!
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