11月 15th, 2010 Posted 12:00 AM
地方都市の疲弊
私は伝統工芸に携わってから、
地方主義・郷土主義へと入っていきました。
特に、国策だった四全総とふるさとの伝統工芸産地、
その活性化をデザイン手法の導入で試みながら検証していました。
結果、「活性化」の根本的な要因に気づきました。
ところが、ふるさとの産業経済、景気は大変動時期に入っていきました。
地方都市の中心部の商店街は郊外に乱立始めたショッピングモールで、いわゆるドーナツ現象。
現在では、商店街はシャーッター街になり、地方都市の疲弊化は激化しています。
一極集中化している企業の多国籍化が、グローバリゼーションを加速化し始めていました。
私はふるさとの伝統工芸産地で地方主義のあり方を見つめはじめましたが、
グローバル:globe(球形・地球)という言葉、
その形容詞globalから派生したglobalizationがラングとして登場していたのは1960年代でした。
しかし、詳細な検討が社会学的にとらえられるのは1980年代です。
その理由は、西欧文化と資本主義が近代世界システム論として整理されたからだと考えています。
したがって、日本の地方主義での経済資本は常に東京に集中し、
地方の補助支援が分散化される制度となりました。
結局、グローバリゼーションというのも、グローバル資本は先進国金融システム化され、
結果として、国際的な文化生産を支援していたことになります。
グローバル資本による文化生産
私は、日本の伝統工芸が文化生産に結びついてくれることをいつも念頭においていました。
しかし、これは単なる想像にすぎなかったと今では思っています。
グローバリゼーションは、国境を越えて拡大すれば、均質化と差異化は明確となって、
その反極はナショナリズムに引き戻されたと思います。
だから、ローカリゼーションはグローバリゼーションの対極にはならなかったと考えています。
Tags: 057「グローバリゼーション」, グローバリゼーション, グローバル, シャーッター街, ショッピングモール, デザイン手法の導入, ドーナツ現象, ナショナリズム, ラング, 企業の多国籍化, 伝統工芸, 先進国金融システム化, 四全総, 地方主義, 均質化, 差異化, 文化生産, 活性化, 近代世界システム論, 郷土主義
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11月 12th, 2010 Posted 12:15 AM
ささやかな心遣いを受けながら
自宅の周辺で火事が起こっている。
消防自動車のサイレンが重なりながら聞こえる。
サイレンの音は次第に近づいて大きく聞こえる。
その時、電話がありました。
「大丈夫か?」、
「エッ、何が?」
「ラジオを聞いていたら、その辺で火事じゃないのか?」
「そうらしいけれど、大丈夫だよ」
「そうか、安心した」。
これが、越前打刃物の職人さんからの電話だった。
打刃物の職人さんは、仕事中にラジオを聞いている。
そのニュースで、自宅近くで火事があったことを知るや否や電話をしてもらった。
まだ、私は打刃物のデザインをし始めていた頃であり、
700年の伝統にデザイン導入をどうすればと懊悩としていた時期でした。
それなのに、「心配してくれている」ことを知って、
郷土に住み始めたこと事態で「都落ち」という低次元な自分に気づかされました。
職人技がたどり着く哲学
彼の父上は、工場で何かと詳細に素材のこと、炎の色、さらに越前打刃物火造り鍛造のことを、
作業をしながらひたすら私に語りかけてもらっていました。
しかし、デザインで「タケフナイフビレッジ」へと向かいだした時に亡くなってしまったのです。
彼の鍛冶場の壁に、「知延常楽」と彫り込まれていました。
私は相当の古典を調べましたがこの言葉は見つからず、父上の造語だと理解しました。
知延=鍛造で鋼を延ばしていくことを知れば知るほど、
日常の楽しみがある=常楽、という意味合いだと彼と話し合いました。
私は、生涯を打刃物職人として、
「鑓鉋(やりかんな)」という宮大工道具を伝承することができた技士、
その「日常からの知恵を蓄積していき、働きがい」への自負心・誇り・喜びという主義性が、
風土の生き様にこそ、地域主義・地方主義・ローカリズムの成立があることを教えられました。
Tags: タケフナイフビレッジ, ローカリズム, 伝統にデザイン導入, 地域主義, 地方主義, 火造り鍛造, 知延常楽, 越前打刃物, 鑓鉋
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11月 10th, 2010 Posted 1:32 AM
21年間
地方主義を第一義とする意識。
私自身、地方ということに対して無自覚でした。
私は全く東京を意識したことが実はありませんでした。
医学部進学志望から美術大学に進学しても、
卒業したら、金沢から福井にもどって短大で教員になろう。
大学では、工業デザイン専攻の同期はデザイナーをめざしていましたが、
正直、その気持ちは最初はありませんでした。
私が21歳の時、母が癌となって3ヶ月と宣告されました。
父と私は母には告知せず、ひたすら奇跡を望みました。
6ヶ月持ちこたえることができましたが、
往診の医師から、「今夜が最期かもしれない」と言われ、
その夜は、母の布団に潜り込んでいました。
母は意識混濁がありましたが、最期はまったく透明とも思える瞳で、
私を見つめて、涙を流して自ら目を閉じました。
1週間後に、仏壇の中から、父と私宛の遺書がありました。
母は自分が癌であることを退院して自宅に戻った時に知っていたことが書かれていました。
二つ約束してほしいことが書かれていました。
「父の寿命を見届けてほしいこと」
「海外からも認められるトップデザイナーになること」
47年間の21年間を、彼女は私に捧げてくれたことです。
車椅子生活になった時も、くじけそうになると、
あの世でこのままでは母には何も報告ができないと思って自分を励ましました。
ふるさと福井に戻ったとき、私はほとんど「都落ち」の気持ちから立ち直れませんでした。
ローカリズムにグローバリズムが反射している
しかし、「ふるさと・福井にはあるが、東京には無いこと」に気づいた時、
私の中にローカリズムが起動したのです。
地方主義は、郷土主義です。
ローカリズムにグローバリズムが反射していることを確認できたのも、
母からのプレゼントだったと思っています。
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