「エネルギーはレトリックにならず」
6月 18th, 2011 Posted 3:43 AM
エネルギーという概念は、
すでに、ヘロンの時代から。
ダ・ヴィンチもすでに、
器械は小さな力で大きな仕事量、
この考え方をベースにしていたのでしょう。
結果、彼は、
器械はまず力を使うことがあっても、
器械から力は絶対に発生しないと語っていました。
当時は「活力」ということばであり、
T.ヤングが1807年にギリシア語から、
エネルギーということばを創ったのです。
したがって、
「あの人はエネルギッシュだ」という表現は、
まさに当初の力=活力そのままを表しています。
energeia→en(内部)+ergon(仕事)という原意は、
「活力」という表現をさらに強化したことばであって、
修辞学的=レトリックにはならない直喩的なことばです。
今、私たちは「節電」という社会環境構造を、
絶対に受け入れなければなりません。
私は、原子力でまかなってきた電力は、
社会全体の「活力」そのままであって、
その本当は叡智であってほしかったはずの原子力技術を
蔑ろにしてしまったことに苛立ちと哀しみを感じます。
なぜなら、
「活力」=エネルギーは、
人々の活性化であり、社会の活性度であり、
「生きていく・生きながらえる」源泉を、
原子力技術を取り囲んでいた人達自らが破壊したのです。
「節電」とは「活力」を奪うことを直喩しています。
エネルギーということばが直喩にはなっても、
決してレトリック用語にはならない、
そのことをを噛みしめるべきです。
すでに、ヘロンの時代から。
ダ・ヴィンチもすでに、
器械は小さな力で大きな仕事量、
この考え方をベースにしていたのでしょう。
結果、彼は、
器械はまず力を使うことがあっても、
器械から力は絶対に発生しないと語っていました。
当時は「活力」ということばであり、
T.ヤングが1807年にギリシア語から、
エネルギーということばを創ったのです。
したがって、
「あの人はエネルギッシュだ」という表現は、
まさに当初の力=活力そのままを表しています。
energeia→en(内部)+ergon(仕事)という原意は、
「活力」という表現をさらに強化したことばであって、
修辞学的=レトリックにはならない直喩的なことばです。
今、私たちは「節電」という社会環境構造を、
絶対に受け入れなければなりません。
私は、原子力でまかなってきた電力は、
社会全体の「活力」そのままであって、
その本当は叡智であってほしかったはずの原子力技術を
蔑ろにしてしまったことに苛立ちと哀しみを感じます。
なぜなら、
「活力」=エネルギーは、
人々の活性化であり、社会の活性度であり、
「生きていく・生きながらえる」源泉を、
原子力技術を取り囲んでいた人達自らが破壊したのです。
「節電」とは「活力」を奪うことを直喩しています。
エネルギーということばが直喩にはなっても、
決してレトリック用語にはならない、
そのことをを噛みしめるべきです。
Tags: 「生きていく・生きながらえる」, 1807年, enerugia→en(内部)+ergon(仕事), T.ヤング, エネルギーという概念, エネルギッシュ, ヘロン, 器械、ダ・ビンチ, 活力, 活性度、活性化、直喩的なことば, 節電
Posted in 祈望から企望へ
目次を見る