「オーディオの恩師はダンディズムの恩師でもある」
5月 19th, 2013 Posted 12:00 AM
オーディオからデザイナーになってきたことは、
私の最大の幸運だったと本当にそう思っています。
これは2002年7月4日25年ぶりに恩師の本宅前で会った写真です。
オーディオ評論家という人たちには、
オーディオ機器のデザインというよりも、
その本質である音質を技術性能や営業投資効果と、
その評価と判断を受け、なおかつ彼らの推奨をもらうことでした。
正直、私はほとんどの評論家、
彼らのセンスを認めていませんでした。
本当に、人間として最悪な商業主義の方もたくさんいました。
高校時代に会ってたら、殴っていたと思います。
本当に信頼し、人間としてはもちろんのこと、
オーディオだけの評論家よりも、音楽から芸術まで、
さらにデザインとなると、当時はほとんどが駄目でした。
たった3名を私は認めていました。
ついでに述べれば、当時、いつかはこの人も評論家になる、
そんなことを幾ばくかの上司からも聞かされながら、
「あの人になったら、最悪だ・・・」。
まさに、現代、そういう評論家が大家と言われていますが、
本当に最悪の評論を書いています。
親しい教え子たちには、
あの人の評論なんて無視してかまわない、と伝えています。
そんな中で、私の恩師は、西洋人形からパイプから、
ともかく「ダンディズム」ということの本物を知りました。
恩師とともに、あるオーディオ誌で連載を持ちました。
しかし、編集部方針には合わず、すぐに辞めました。
あの時の私の予測に、現代はなってしまっています。
その頃、<そんな時代になるわけがない>とか非難されました。
ところがどうでしょう。
やはり、商業主義方向はさらに進んでいまやベッタリの誌面です。
オーディオの物欲は、ダンディズムの極致です。
オーディオ機器の前に、音楽があり音響があり、機器があります。
それどころか、基本は科学性と芸術性が見事に、
デザインに集中しています。
「デザインベクトル」はオーディオに突き刺さっていますから、
それはダンディズムそのものの物欲を超えることかもしれません。
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Posted in 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務, 祈望から企望へ
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