『現代のあたかも魔女狩りこそ全否定されなければいけない!』
4月 11th, 2014 Posted 12:00 AM
魔女でも冷徹贔屓する力は常に用意していたいという想いから、
たとえ魔女であっても許されないことを一方的に記述します。
情報社会が無残な刑罰を野放図にしている構造は、
権威を多大な権力と錯覚した組織の支配力、
無知蒙昧さを隠匿しているマスコミの商業主義的発信力、
そして、匿名をいいことに刑罰を風潮化しようという集団です。
この三つの暴力には、何ら、罰則がありません。
組織は、組織温存を護り抜くには個人を痛めつけて平気です。
マスコミのマイクやカメラが正義を語れる武器なのでしょうか。
個々人が匿名であるから、組織とマスコミを存分に利用します。
たった一人が、組織とマスコミに説明責任を問いただされる姿が、
現代のあたかもいやまさに魔女狩りになってしまったのでしょう。
権威も権力も分別出来ない組織が個人全否定はありえません。
本来ならその組織に所属した個人こそ何としても守護すべきです。
マイクを問いただす武器だと知らない記者がマスコミ人です。
カメラを向ければ真偽をつかみ取れるというマスコミは大勘違い。
この三つの力を正当に使うとするなら、
それは同胞(拉致被害者)を護り抜く決意が基本だと思います。
平然と我を顧みない人を沢山見てしまいました。
「魔女狩り」は中世時代に終焉するどころか、
もっと悲惨で残酷な個人への刑罰風潮には警戒が要必要です。
個人の願いや希望を、全否定する権力は誰にあるのでしょうか。
未熟さを個人評価で罵る大人だとするなら、
自分の年齢ゆえの経験や実績そのものこそ尊敬は出来ません。
組織、マスコミ、匿名集団の刑罰主義こそ、
現代制度で構築されるべきかも知れないのです。
組織もマスコミも、再度是正できるはずだと信じますが、
最も匿名性に隠れて、
情報化で刑罰を与えることこそ、厳罰すべき肝心なことです。
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Posted in 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務, 祈望から企望へ
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