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Posts Tagged ‘危機産業創成デザイン重要拠点’


「4月1日は『春』開始」


   


     4月 1st, 2013  Posted 12:00 AM

エイプリル・フールというのがありますが、
これまで私はエイプリル・フールが適用されていることには
ほとんど無感動でした。
日本は、常に梅から桜、そして「春」が始まるという風情を持っています。
だから、春から新学期が当然でした。
この改編は実に日本の風情=文化破壊だと考えます。
さて、私は前年度で大阪大学を退任しました。
わがままな大学人をやらせてもらいました。
たとえば、教授会も最初と最後に出席したほどです。
出席できない事情もありました。
最後の教授会で挨拶をさせてもらいました。
名古屋市立大学時代にはすでに、
2004年、大阪大学・フロンティア研究機構特任教授でした。
2006年から正式に転籍してきました。
もう一度整理すると、
私が大学人になったのは、母の生涯と関係があります。
私の母は47歳で亡くなりました。
彼女の天命は47年間でした。
だから、私も47歳で大学人になりましたが、
応援してくれた先輩と恩師たちに恵まれました。
正直、大学という空間での人間関係は世間離れしています。
だから、恩師に何度か「大学人を辞めたい」旨報告もしました。
しかし、この春からは「特任教授」として、
「危機産業創成デザイン重要拠点」づくりを工学研究科にて行います。
基板は「危機管理工学プロダクトデザイン寄附講座」です。
危機管理に関しては、
すでに、危機管理学=これは文科系で行政政策の制度設計論です。
今ではいくつかの大学にありますが肝心のテキストは欠落しています。
また、ようやく危機管理工学というのも
基本は制度設計を工学的にとみなしているだけです。
私は、なんといってもプロダクトデザインの「学際性」を持ち込みます。
これまでの「制度設計」にはモノが介在する必要があります。
だから、プロダクトデザインが主導する必要があります。
さらに私は危機管理に関わる産業を
起業・創成していきたいと考えています。
それは「形態設計」として産業成果を生み出すことです。
この形態にはmade in Japanとして、
危機=「最悪の状態」を可決=切り抜けて命を護ることへ、
学際的なデザインを持ち込みたいことです。
すでに「第一回危機管理デザイン賞」を創設して授賞式をすませました。
この秋には、大阪の見本市でも、
「危機管理デザイン」の備わったモノを選びたいと考えています。
そして「講座」であることから、
大阪大学からドクターである、
専門的なテクノロジストを養成するつもりです。
テクノロジストというのは、工学はじめ各種学域を学際化して、
プロダクトデザインの理念・技法によって、
デザイン・ディレクションできる人物を育てたいと考えます。
インターン生を募集します。


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「今日からフランスへ」


   


     3月 4th, 2013  Posted 12:00 AM

一昨日「最終講義」を終えました。
母が47歳で逝きましたから、私も47歳で生き方を変えました。
1996年に名古屋市立大学芸術工学部が新設とともに、
私は大学人になり、デザイナー活動と二足のわらじを履いたのです。
2006年には、芸術工学科・博士後期課程が完成年度とともに、
私は大阪大学大学院に転籍しました。
「光陰矢のごとし」です。
64歳にて阪大を退官することになり「最終講義」をさせていただきました。
退官しましたが、
「危機管理デザイン賞」総合審査委員長ということもあり、
大阪大学大学院工学研究科は、3.11という大経験を乗り越えて、
これからmade in Japan産業を「危機管理関連産業へのデザイン応用支援」の
重要拠点として、国家ミッションを引き受けることになりました。
特任教授(名誉教授)・プロジェクトリーダーとして
現研究室をさらに拡大していくことになりました。
講義前日には、「危機管理デザイン賞」の審査で、
大阪市内のショールームで応募賞品や、
阪大研究室に送られてきたり、
作品ともども持ち込まれた応募者と会談もしました。
気づいたことは、わが国がこれほど天災・地震や津波国であることですが、
「危機管理」といっても、まだまだ知識不足が多いことでした。
もちろん、
グランプリやゴールド、シルバー賞、特別賞候補などを決めました。
その翌日には、阪大発祥の大阪大学会館にて「最終講義」でした。
大勢の人が見えて、会場は満杯になり、
お花やプレゼントを一杯いただきました。
明日から、
フランス芸術大学(エコール・デ・ボザールはフランス各地に散在)
パリにて、
退官後、引き受けることになった「危機産業創成デザイン重要拠点」にて、
阪大が「危機管理産業のmade in Japanをしていく話をしてくるつもりです。
最終講義にご来場していただいた皆さんや、
来れないからと連絡いただいた皆さん、
そして、すべてを管理してくれた研究室やオーザックデザイン、
現スタッフ、元スタッフに心から感謝します。
帰国とともに、
デザインによるこの災害から危険、危機への産業化を主導します。


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「これからの私、私が賢明で懸命になること」


   


     2月 27th, 2013  Posted 12:00 AM

2月26日誕生日でした。
本年度で大阪大学大学院は定年退官が決定しました。
しかし、昨年、「危機管理デザイン賞」審査委員長を拝命し、
昨年7月2日には、前政権の防災大臣に1時間半も
プレゼンテーションをしましたが、
案の上、この「政権ごっこ」などは、
全く私の想いとはかけ離れていました。
8月1日には、弁護士会館にて、
危機管理デザイン賞」創立の講演をしました。
その結果として、
大阪大学大学院工学研究科の私の研究室に、
特任教授として、
「危機産業創成デザイン重要拠点」づくりが与えられました。
64歳にして、再度、この国難国家をデザイン主導、
大阪大学大学院を重要拠点とした、
プロジェクトリーダーになる決意をしました。
ところが、インフルエンザで阪大病院に入院するとか、
グアムに行くとか、東京でのクライアントに会うとかでした。
幸いにして元気を回復し、
博士後期課程=博士号取得者もいることから、
3月2日には「最終講義」をします。
デザイン界の恩師・平野拓夫先生や従兄弟やふるさとの伝統工芸産地から、
教え子たちも来ていただけることになりました。
今回のインフルエンザで、多分、もう本当に駄目かと思うほどでしたが、
元気になってしまい、熊本大学にて後輩の依頼で講演をしてきました。
まだ、走り続けることになりそうです。
公共政策では、制度設計論が様々な大学にもありますが、
私は、3.11があったからこそ、
国家防衛から警備警察、さらには防災・防犯などへの
新しい産業を「デザインで牽引する」というテーマを抱きました。
ようやく、新政権が本格的になろうとしてくれています。
であるならば、
デザイナーとして、デザインディレクターとして、
そして大学人として、大阪大学大学院をハブに危機産業の創成こそ、
これからの「公共」のあり方を支える、
産業構造を創出したいと考えています。
これが、これからの私が、
より賢明になり、より懸命に行学を貫く所存です。


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