8月 16th, 2013 Posted 1:20 AM
終戦記念日は、歳毎に、私は「敗戦記念日」と思います。
先般も映画「終戦のエンペラー」を観て無念でした。
とりわけ、March 11.2011を受け止めてから、
私は阪大に「危機解決産業創成デザイン重要拠点」を
自分の研究室名とし特任でプロジェクトリーダーになっています。
「危機管理工学プロダクトデザイン寄附講座」では、
「危機」というテーマを学術的に追いかけてきました。
7月30日にキックオフにて大阪府警本部長に基調講演後、
この講座の紹介を済ませました。
私の脳裏には、敗戦後以来、また再びの国難を「危機」として、
さらなる学術をプロダクトデザイン実務での問題解決を図る、
ほとんどの周辺学域設定をすませたと思います。
「危機安全学」は、制度設計の学問となったのは、
1960年のキューバ危機から、国際関係論として発生してきました。
今では、日常の防犯・防災から企業危機からテロリスト対策まで、
大きな学問に発展してきましたが、
デザインが接着剤となれば制度設計論から形態設計論になります。
「危機」とは、この文字通りの「危険」と「機会」にあります。
つまり、危険さを機会=チャンスとしての問題解決です。
そしてなんとしても「安全と安心」の確立をすることです。
私の父は、青春を20歳から28歳まで、戦争に従軍し、
焼け野原のふるさと福井に復員し30歳で私が生まれました。
父は今更ながら私を厳格に育てたのは「行学」思想でした。
現在わが国には、国際的な「危機」に取り囲まれています。
「靖国問題」・英霊に礼をつくすことは護らねばなりません。
「教科書問題」・教育での歴史教育を最も最高にします。
「南京問題」・虚像報道で国家までが非難されることに反対です。
「慰安婦問題」・軍事につきまとう事実性を明快にします。
なぜなら、3.11によって、私たちにつきつけられたこと、
それは、地球環境が悪化していくことへの対策です。
さらに、エネルギー問題の根幹を再確認しました。
日本だからこそ、この「危険」を「機会」にして、
「宿痾」=難問解決をデザインで実務的な解決をすることです。
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4月 1st, 2013 Posted 12:00 AM
エイプリル・フールというのがありますが、
これまで私はエイプリル・フールが適用されていることには
ほとんど無感動でした。
日本は、常に梅から桜、そして「春」が始まるという風情を持っています。
だから、春から新学期が当然でした。
この改編は実に日本の風情=文化破壊だと考えます。
さて、私は前年度で大阪大学を退任しました。
わがままな大学人をやらせてもらいました。
たとえば、教授会も最初と最後に出席したほどです。
出席できない事情もありました。
最後の教授会で挨拶をさせてもらいました。
名古屋市立大学時代にはすでに、
2004年、大阪大学・フロンティア研究機構特任教授でした。
2006年から正式に転籍してきました。
もう一度整理すると、
私が大学人になったのは、母の生涯と関係があります。
私の母は47歳で亡くなりました。
彼女の天命は47年間でした。
だから、私も47歳で大学人になりましたが、
応援してくれた先輩と恩師たちに恵まれました。
正直、大学という空間での人間関係は世間離れしています。
だから、恩師に何度か「大学人を辞めたい」旨報告もしました。
しかし、この春からは「特任教授」として、
「危機産業創成デザイン重要拠点」づくりを工学研究科にて行います。
基板は「危機管理工学プロダクトデザイン寄附講座」です。
危機管理に関しては、
すでに、危機管理学=これは文科系で行政政策の制度設計論です。
今ではいくつかの大学にありますが肝心のテキストは欠落しています。
また、ようやく危機管理工学というのも
基本は制度設計を工学的にとみなしているだけです。
私は、なんといってもプロダクトデザインの「学際性」を持ち込みます。
これまでの「制度設計」にはモノが介在する必要があります。
だから、プロダクトデザインが主導する必要があります。
さらに私は危機管理に関わる産業を
起業・創成していきたいと考えています。
それは「形態設計」として産業成果を生み出すことです。
この形態にはmade in Japanとして、
危機=「最悪の状態」を可決=切り抜けて命を護ることへ、
学際的なデザインを持ち込みたいことです。
すでに「第一回危機管理デザイン賞」を創設して授賞式をすませました。
この秋には、大阪の見本市でも、
「危機管理デザイン」の備わったモノを選びたいと考えています。
そして「講座」であることから、
大阪大学からドクターである、
専門的なテクノロジストを養成するつもりです。
テクノロジストというのは、工学はじめ各種学域を学際化して、
プロダクトデザインの理念・技法によって、
デザイン・ディレクションできる人物を育てたいと考えます。
インターン生を募集します。
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