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「大阪大学の歴史の一つに、藤野恒三郎の存在」


   


     7月 28th, 2013  Posted 12:17 AM

1724年、大阪の商人たちが「士農工商」にこだわりなく、
一つの学問所ができました。「懐徳堂」でした。
この年に、平賀源内、本居宣長、彼らの人生が終わっています。
この学問所の流れに175年前「適塾」が設立されます。
適塾の創始者・緒方洪庵は今年150年忌になります。
「後世適塾名を成すとするならば橋本左内をもって成す」と、
洪庵は橋本左内の才能を尊びます。
大阪大学が学問所としての歴史的な系譜を語るとき、
その源流には、「懐徳堂」と「適塾」があります。
しかし、忘れられている人物に藤野恒三郎がいます。
集団食中毒の腸炎ビブリオの発見者であり、
魯迅の恩師である藤野厳九郎の甥でした。
彼は、「適塾で使用された物」を骨董屋から買い取っていました。
さらに、近代医学史を著作しています。
題名は、「医学史話・杉田玄白から福沢諭吉まで」を残しました。
この著作では、適塾での橋本左内について詳細な記述があります。
杉田玄白・橋本左内・藤野厳九郎・藤野恒三郎、
すべてが、わがふるさと福井県の出身者です。
私は、橋本左内はすこぶる知っていましたが、
「適塾での使用品」の多くが藤野恒三郎であり、
彼の著作を見つけたとき、体が震えました。
藤野恒三郎も阪大の名誉教授でした。
かくいう私も今年退官後、名誉教授号をいただきました。
私は、すでに廃刊となっている「医学史話」は再刊すべきと、
思い込んで、なんとかこの再刊をめざしています。
いづれ知られるのかもしれませんが、
橋本左内を語り、藤野恒三郎の所業と著作をもう一度語ること、
それこそ、私の役割だとこの数年携えてきました。
杉田玄白も福井県出身であり、
日本の近代医学は、解剖や外科手術、さらにワクチンなどを
私自身は、「先端医療デザイン」として引き継ぐこと、
それが、大阪大学でデザイナーとして大学人である意義だと、
心底から「使命観」にしています。
7/27、私は京都で循環器関係のドクターたちに、
「体内埋め込み電子医療機器」を紹介しました。
わが国は未だに海外製に頼っていますが、
現代日本の技術とデザインで開発するべきことを主張しました。


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