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『「KK適塾」最終回での通じていない日本語の話』


   


     4月 7th, 2017  Posted 12:00 AM

私がこの40数年語り継いできたことは、
日本の企業体で実際は「日本語が消滅」していることです。
企業では当然ながら全員が知っているはずの日本語、その肝心の意味が
全く消滅していて、本質的な意味・定義を知ったかぶりしている事実です。
たとえば、「企業」っていう本質的な意味は知られていません。
この基本は「企業の『企』」にあるのです。
よって、企画も計画も実際的内は企業内の会話にどれほど登場しようが、
企画も計画も企業行動・企業活動を真実には支えていないということです。
これは「KK適塾」最終回に私が「企画」と「計画」を再提示じました。
実際、日本のどの大学でも「企画学」も「計画学」もありえません。
書店に鎮座している「企画」または「計画」の書籍を私は随分みてきましたが、
ずばり、「企画」と「計画」この本質的意味・定義をみかけたことは皆無です。
おそらく、日本の企業、それこそ私が社会人としてスタートしたあの東芝さえ、
なぜ、企業存続の窮地にあつかは、幾たびも私は講義もしてきましたが、
まったく企業内ではこの本質的定義を見失っていたことだと確信しています。
ここで私はとりあえず、企業内がすっかり見失っていることば、
それこそ、製品・商品・投資・利益・利得などほとんどの日本語の意味を
すっかり「企業内で知ったかぶり」が蔓延しているということです。
「KK適塾」をこれで3年やってきて、未だにこの日本は、
すでに終焉した繊維産業・鉄鋼産業・家電産業があるにも関わらず、
基幹産業を見いだしていません。
なんだか、米国からの「デザイン思考」が「イノベーション」を
必ず起こしてくれるというムードがBigDataやIoTに繋がっているという、
この印象操作から解放される必要があると次期「KK適塾」では、
詳細に語っていく覚悟でします。

* 『コンセプトから逃走してほしい・・・』
* 『日沈む景観であっても景気はデザインが主導する』
* 『コンセプト主義からの解放=デザインテクノロジスト』
* 『「企画書」づくりが私の休暇の積み重ね』
* 「商人の商売、その物が商品」


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『資本主義からの逃走』
「Business Modelの義は善であり、美に包まれている」


   


     4月 6th, 2010  Posted 12:01 AM


「義務」あってこそ、人は「権利」があります。
「権利」が前面となっているのは現代日本の病です。
「義とは宜しきなり」(礼記)という原意性がありますが、
羊を犠牲として神の供え物とし、
その祭壇を善としていたという文脈に「美」がありました。
つまり、美は義と善を包み込んでいる言葉です。
さて、私は、Business Model が破綻しているのは、
社会還元という義務放棄が起こってしまっていることだと思っています。
収益構造の中での利益獲得は、
すべからく「独占」する権利を前面としている、
その結果がBusiness Model を破綻している最大の理由です。

義務なくして、
経営仮説と収益構造による企業の「社会的な存在」権利は失うのです。
そこで、私は下記のように、「経営仮説」に知財権を配置し、
その知財権は最も権利主張が弱いと言われがちな意匠権、
その意匠権こそ「美学性+倫理性」=美(義+善)なのです。
意匠権=美学性+倫理性
そして、これまでは「経営仮説」が「収益構造」という図式を
次のように変換するべきだと考えてきました。
それは知財権に意匠権=美学性+倫理性を「経営仮説」とするなら、
その背景としての基盤上には、「収益構造」を仮説化します。
その上に、はじめて「経営仮説」を載せる戦略です。
しかも、これまでは「経営仮説」に知財権の有無によって、
知財権は収益構造に直結していることが慣習であったと思います。
そして、利益獲得のサイクルを二重化できないか、と考えました。
それは、純利益のサイクルと経常利益のサイクルです。
それぞれのサイクル性が、収益構造を取り囲むことで、
企業体の体力と体質をガードできないだろうかということです。
このサイクルは、必ず義務である美学=美と倫理=善を駆動させます。
それは、明らかに、Business Modelではなくて、
designの理想主義を持ち込みます。
Designには、その本質において必ず「美学性+倫理性」は、
全体価値として付与されます。


おそらくこれまでの「経営仮説」において、
Designの価値感は、付加価値となってきたことは否めません。
よって、この経営仮説よりも、
収益価値の付加価値にDesignが置かれていたことが予想されます。
次段階においては、次の二つを論理図式化していくことで、
Business ModelをDesignで強化する手法が見えてくると考えています。


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『資本主義からの逃走』
  「ビジネスモデルが見落としてきた欠陥」


   


     2月 15th, 2010  Posted 1:00 AM

経営MODEL
経営資源の運用=ビジネス、そのメリット性から、
「仮説」化することを社会貢献として、
利益還元のモデルを指し示すこと=モデルが、
本来の意味でした。
そのモデル化の「仮説」化は、
オリジナリティが最も大事だったわけです。
しかし、経営資源は企業体に軸足がありました。
この「軸足が企業」であり、
経営資源は、直・即に、
「収益構造」に結びついていたわけです。
端的に言えば、
「儲け」=Profitだけが成果だったことです。
そうなれば、企業体が収益構造・儲け主義となり、
社会貢献が後回しになることは、
人間の欲得感情から逃れられるわけがありません。
即刻、「仮説」はアイデアとして、
そのモデル化=オリジナリティ、
その独占欲になるのは当然のことでした。
いわゆる知財権としてのビジネスモデル、
つまり、「ビジネスモデル特許」が公認されます。
そうなれば、ビジネスモデルが、
「収益構造」戦略として「企業戦略」本旨、
さらには「経営資源の合理的策略」となります。
資本主義がこれを否定する要素も要因もありません。
ビジネスモデルこそ先端的な「経営戦略」と化しました。
Profit・対・Benefit
そして、
大きな見落としは、「収益構造」には、
ProfitとBenefitがあるということです。
Profitは確実に企業体、組織内での収益ですが、
本来の社会貢献は、企業構成員以外への還元性に
差し向けられることにはならない事情が、
隠匿されていってしまったのです。
それは、商慣習での倫理性を忘却する体質が、
企業体=Associationにこびりついたのでしょう。
私は、あらためて、
倫理性=義と善なる規範性を根底で支えるのは、
美学性=美が、企業体を包括すべきだと主張します。
美に直結した職能は、デザインです。
よって、デザイン手法が経営戦略を包括するべき、
というのが私の論理です。


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