8月 23rd, 2019 Posted 12:00 AM
イスやソファーなどイスの歴史が日本には無かったとされています。
イスについて考える時いつも初心回帰、原点回帰です。
私はこの事に対して調べて書いていますが、
仏教伝来とともに、
「禅家所乗物」・「独搨(トクタツ)」・「發子(テンス)」
といった寄りかかる「倚子」がありました。
素材としての木に寄りかかる意味から
「椅子」という表記が一般的になりました。
その歴史や文脈を受け取り、作品も制作展示もやりきってきました。
今回、私の商品発表会は、会社創立70周年記念となる作品です。
新たな「イスとソファー」を組み合わせた造形を、
「先端的な素材」の性能から表現しています。
ウレタンフォームなど経年劣化をおこす、レガシーとして
ふさわしくない素材を使うインテリア用品は
美術館のパーマネントコレクションにはならなくなってきたのです。
歴史の断片として博物館を飾るモノです。
情報空間、音響、映像が錯綜するこれからの空間を対象とした
インテリア、室内装飾、デコレータなどプロが必要となるでしょう。
イスが置かれるこれからの空間も新しい提唱をしています。
クライアントから見れば哲学的だと思われていますが、
21年間の大学人から
再度、デザイナーだからこそ出来ると考えています。
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8月 22nd, 2015 Posted 12:00 AM
私が椅子のデザインを追いかけたのは、車いすのデザインと
そしてある家具メーカーを家具見本市に出展させるためでした。
椅子を倚子というのが本来として、倚子の歴史を調べました。
一つは禅家所乗物・發子・独搨にたどりつき、
日本の仏教伝来と実は深い関係があったことや、
西洋でも、多分、土製と思われるスツールをメトロポリタンで見ました。
車いすのデザインではシェーカー教徒の家具全般を知り、
そのためにふた夏、ボストンの郊外にあるシェーカー教徒の村を訪問。
そして、デザイン界では今なお名作であるハンス・ウェグナーのYチェアに
禅家所乗物の一つ=日本では説教台の原点を見ました。
ウェグナー自身が、この椅子に関して
自分が中国の乗物から大きな影響を受けていると記述していました。
(この記述を探していますが、まだ見つかっていません)
美大時代には、イタリアのアビターレがインテリア・家具を学ぶ
まさにテキストでしたが、それは自分で選んだ家具をまずスケッチし
その上で覚えることをしていました。
それは、デザインのための資料で刺激・インスパイヤーされる、
一つの訓練でもあり、絶対に盗作をしないことの基本姿勢でした。
中国では、いわゆる物真似家具がとても安く生産されて、
それをジェネリック家具とかジェネリックプロダクトということへは
私は職能的倫理観をもって、この考え方をジェネリック薬品と比較し、
徹底的に論破を主張してきました。
「オリジナルからインスパヤーされてもオリジナルを超えられない」と、
美大時代には教わってきました。
ところが、ジェネリック家具どころか、オリジナルデザイン作家が
逝去すると、そっくりな家具を平然と行うことや、
それがあたかもアノニマスになっているからと自分の作品にすることは
私は絶対に許すことが出来ません。
まして、デザイン系大学で教員自らがジェネリックプロダクトとは
決して容認どころか、これは訴追する必要がると考えています。
http://www.nanna-ditzel-design.dk/F6.html
これを自分のデザインとまで発表するのは「盗作」である。
彼女は逝去されている。
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4月 10th, 2013 Posted 12:00 AM
最近ある雑誌のインタビュー記事を校正しました。
そこで、これはもう一度メモとして残そうと思いました。
モノ=物の歴史、
それはわが国では歴史的には神の存在として語られます。
コト=情報も同様です。
モノは「大物主の命」とコトは「事代主の命」です。
そして、このことを仏教伝来に照らし合わせると、
二人の人物が登場してきます。
最澄と空海です。
生年月日説としては766年説と遣唐使説も804年に唐に渡っています。
ところが、最澄は今で言う、国費留学生ですから、
徹底的に理論を学んで帰朝してきました。
空海は、最澄の留学を知って私費留学したと言われています。
しかも、彼は仏教を学ぶとともに、いち早く帰朝します。
ここで、両者の大きな違いが芽生えることになります。
最澄は論理=コトを学んで来ますが、
空海は論理=コトとその実務道具器具=モノを、
留学費用を使い果たし持ち帰ります。
これが、以後、
天台宗と真言宗を大きく生活観を変貌させたことになります。
つまり、仏教の実務、たとえばある儀式を行うにあたって、
空海はモノを使ってコトの重大さを庶民に伝えることが可能になりますが、
最澄にはそのモノが無いために、
あらためて空海にモノの使いかたとコト=論理の表現を、
学びなおさねばなりません。
つまり、
大物主の命はモノの管理に徹しますが、
事代主の命はコト=情報操作の頂点です。
デザインは、モノの造形だけではありません。
デザインは、モノづくりとコトづくりを「かたち」化する実務です。
そういう意味では、
まさにデザインは空海のごとくでなければならないのです。
最澄のごとく、コトづくりでは世界も日常も動きません。
世界観でのコトづくりとは「制度設計」ですが、
日常感でのモノづくりとは「形態設計」にあたりますから、
デザインの真の役割は、
「制度設計=コトづくり」+「形態設計=モノづくり」です。
つまり、あくまでもモノづくりとコトづくりは、
デザイナーが空海のごとくでなければならないということになります。
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