6月 23rd, 2020 Posted 10:32 PM
世界的には一段とコロナ災禍で
「COVID-19」の感染者900万人を超えました。
私の人生では、身近な戦争は無く、3.11での震災・人災
そして近年の次々起こる自然災害、そしてコロナです。
最近では「マスゴミ」では、地震は4.0でないと報道もされません。
3.11では、様々な動きを試みましたが
官僚に見事に私はやられました。
せめて研究費を見通しのあるところへ配分したいと
「学術振興会」でも一暴れしてみました。
旧帝大1づつ、東大2・京大2・阪大2の定数と
早稲田大1と慶応大1からなる最終決定のお墨付きを与えるだけの場では、
タブー視される研究には、
もちろん、将来性あるところに予算を下ろすことができず
見識者の目で「やり直し」を発言しましたが官僚災害を受けました。
いつでも正面突破なので、成功率は高いとは言えません。
63歳での退官後も68歳まで阪大で「研究」をやりました。
現代のグローバル・ローカルでの「COVID-19」パンデミックは、
取り組んでいた「研究結果」が相当に反映しています。
さて、10年余り大阪の空を眺めていますが、
この夕方景観はとても異常でした。
今やこれで地震や大雨や竜巻が起こりそうです。起こっています。
私の「地震雲」予想は、残念ながら相当に当たっています。
Tags: 10年余り, 3.11, 4.0, 900万人, COVID-1, お墨付き, グローバル, コロナ, コロナ災禍, タブー視, パンデミック, マスゴミ, やり直し, ローカル, 世界, 予想, 予算, 京大, 人災, 人生, 地震, 地震雲, 報道, 夕方景観, 大阪の空, 大雨, 学術振興会, 官僚, 官僚災害, 定数, 将来性, 当た, 感染, 慶応大, 成功率, 戦争, 旧帝大, 早稲田大, 暴れ, 最終決定, 東大, 正面突破, 残念, 異常, 発言, 相当, 研究, 研究結果, 研究費, 竜巻, 自然災害, 見識者, 起こ, 退官, 阪大, 震災
Posted in ConsilienceDesign, 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務, 祈望から企望へ
目次を見る
10月 8th, 2016 Posted 12:00 AM
大阪大学の起源は懐徳堂という寺子屋からです。
その懐徳堂が、緒方洪庵による「適塾」になり、
医学校から始まるとともに、設立経費はすべて民間からの出資でした。
官僚の育成=東大、学者の育成=京大、産業の育成=阪大、
この歴史は今も大学の根底に流れています。
「適塾」となると、学籍番号182の橋本左内がいました。
一般的には蘭語の学校と言われていますが、
実際にはすでに英語だったとのことです。
しかし、英語は江戸幕府の禁書ゆえ、これを学ぶには江戸幕府への
ましてや幕府政治への反幕府行動は制限されていました。
しかし「安政の大獄」によって橋本左内は26歳でそれも斬首の刑です。
自分は井伊直弼(近江彦根藩)・間部詮勝(鯖江藩)を許せません。
2013年の「KK塾」を大阪で開講し、東京での開催の声が大きく、
昨年は東京で開催してきました。講師はすべて超一流でした。
ようやく医学系研究科「コンシリエンスデザイン看医工学寄附講座」、
これも寄附講座ですから全て民間からの出資で成り立っていますが、
自分は何としても「適塾」からの系譜大切にと考えています。
その講座理念をコンシリエンスデザインと看医工学の
情報発信講座を狙って、ようやく、開催にこぎ着けました。
今年度は「デザイン」を中心にと考えています。
この講座の情報発信こそ最先端にする所存です。
自分の大事なデザイン活動の一つと位置づけています。
* 『1800年代安政の頃・「適塾」を最も語り継ぎたい』
* 「『医の知の未来』適塾175年・緒方洪庵没後150年=大阪大学」
* 「大阪大学の歴史の一つに、藤野恒三郎の存在」
* 「会えずとも、誤解されようが・・・私は語り継ぎます。」
* 『球体に働いている力は統合的な知識になる』
Tags: コンシリエンスデザイン, コンシリエンスデザイン看医工学寄附講座, 井伊直弼, 京大, 出資, 医学校, 医学系研究科, 反幕府, 大阪大学, 学籍番号, 学者, 安政の大獄, 官僚, 寄附講座, 幕府政治, 情報発信, 懐徳堂, 斬首, 斬首の刑, 東大, 根底, 橋本左内, 民間, 江戸幕府, 産業, 看医工学, 禁書, 緒方洪庵, 育成, 英語, 蘭語, 講座理念, 超一流, 近江彦根藩, 適塾, 間部詮勝, 阪大, 鯖江藩
Posted in ConsilienceDesign, 企望を「までい」具現へ, 祈望から企望へ
目次を見る
4月 23rd, 2013 Posted 12:00 AM
阪大退任の記念に、
作品集・「川崎和男Design」を編集中です。
本来ならば、最終講義日に発刊予定でしたが、
私自身が全く本気ではありませんでした。
そして、ようやく私が本気になってきたら、
レイアウトや写真などが不満足になっています。
そこで本気になって、自分の過去と作品、
その裏付けを調べ始めました。
思い違いを修正することが出来そうです。
「私がデザインを選び、デザイナーになろう!」と決心したことです。
私は大阪で国公立医進コースの予備校で相当に受験勉強をしていました。
ところが、その予備校で最も面白かった授業は「漢文」でした。
講師は京大から若い先生が来ていたことは確かです。
受験勉強の漢文は15分程度で、残りはほとんどが、
「平凡パンチ」と「プレイボーイ」週刊誌への現代批評でした。
(画像上中二枚が創刊号)
そこで、きっと私は社会的な批評眼や職業について学んだと思います。
「イラストレーター」という職業を初めて知りました。
当時すでにスターであった横尾忠則氏を知りました。
多分私はその時に、「デザイン」を知ったのです。
2006年に横尾氏にお目にかかりました。
私が彼のイラストレーション「浅丘ルリ子裸体姿之図」に憧憬。
この場面を横尾氏は運良くTVで観ておられて、
しかも金沢21美術館個展前日に彼と握手をしてもらいました。
多分、若者向け週刊誌はすでに私の高校時代に創刊されていました。
私がデザイナーに絶対成ろうと確信したのは、
1970年の「平凡パンチ増刊号」(画像下)に掲載された、
「浅丘ルリ子裸体姿之図」だったようです。
そろそろ秋になろうとしていた頃、
私は大阪阿倍野筋の古本屋店頭で、
「アトリエ・美大入試鉛筆デッサン集」で、
医学部ではなく美大を選んだことは確かでした。
時折、「どうしてデザイナーに」と尋ねられてきましたが、
「浅丘ルリ子裸体姿之図」は間違いなく、
医学部へ行き、本当は作家志望だった私を、
決定的なdesigner志向にしてくれた作品だったと思います。
Tags: 「アトリエ・美大入試鉛筆デッサン集」, 「イラストレーター」, 「プレイボーイ」, 「川崎和男Design」, 「平凡パンチ」, 「浅丘ルリ子裸体姿之図」, TV, イラストレーション, スター, デザイナー, レイアウト, 不満足, 予備校, 京大, 作品集, 作家志望, 再度確認, 写真, 創刊号, 医学部, 受験勉強, 古本屋, 国公立医進, 増刊号, 大阪, 大阪阿倍野筋, 当時, 思い違い, 憧憬, 批評眼, 授業, 掲載, 握手、確信, 時折, 最終講義日, 本来, 本気, 横尾忠則, 決心, 漢文, 現代批評, 理由, 発刊予定, 相当, 私自身, 編集中, 美大, 職業, 若い先生, 裏付け, 記念, 講師, 週刊誌, 運良く, 過去, 阪大退任
Posted in 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務, 祈望から企望へ
目次を見る