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「公私の形象概念・再認識するための手法が選挙」


   


     12月 4th, 2012  Posted 12:00 AM

日本人はその体質から性質まで変容したのかもしれません。
確かに、3.11では被災地の東北の人々には、
一致団結してまさに「絆」というべき連帯力が世界から称讃されました。
しかしながら、モンスターペアレントやモンスターペイシャントなど
その自分勝手さは「権利」の主張が、
自由権の表現だという大誤解が蔓延してきていることは事実です。
「私」という漢字と「公」という漢字には、
しっかりと「厶(し)」という形象が入っています。
私の「禾」は、稲穂を表し、公の「ハ」は、家屋の空間を示しています。
そこに「厶」は、腕を曲げて手を胸に当てる形象であり、
その意味はこれは自分のものという欲望の記号と言われています。
「私」は「稲穂を抱き上げてこれは自分のもの」という
形象になっています。
ところが、「厶」を家屋の空間の中に入れることで、
私欲望を公共的にするという意欲・意志を形態化していると解釈可能です。
そこで、「滅私奉公」と「背私向公」には、
社会的に私事の行動を公共化していく姿勢を明示しています。
「私」の領域は、公的な構造では職業があり、
その能力としての職能があると考えます。
よって、「私」の公的な欲望は、決して私欲としての姿勢は、
職能への「背私向公」でなければなりません。
以上が、
「私」と「公」のきわめて正道な日本的な本質構造だと断言しておきます。
しかし、この構造転換も新たな
ようやく、この国難の中で私たちは次の政権を選びます。
前回、私は「政権交代」という風潮が高まれば高まるほどに、
冷静冷徹に判断をしました。
結果、私は「民主党」の人的能力、交渉力、制度設計能力など、
代議員という職能の専門集団には力量無しと断定することができました。
やはり、結果には3.11からさらに天災の連続、
国際的な経済動向に対する議会制民主主義そのものが破滅したわけです。
となれば、今回の選挙においては、
「滅私奉公」足る人物を代議員職能に選ぶべきであることは自明です。
この国難にあって、
その前提である「拉致問題解決」を第一義にしていないことこそ、
「国民の生命と財産を護る政治」の根本が欠落していると見なすのは、
私だけでしょうか。


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