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『「年暮る」を見ながら京都の景観は誤っている』


   


     10月 29th, 2018  Posted 12:00 AM

正直、日本画が念頭から離れないとは思いがけないことでした。
ボストン美術館で岡倉天心(福井藩士)を見てからです。
当然のごとく、日本画家に惹かれていきました。
なんといっても、東山魁夷の特に緑色や青系には心が引かれています。
「年暮る」という京都の雪景色があります。
丁度、京都で定宿としているホテルに、絵の風景が
見事に見える部屋があるので底冷えの季節は必ず滞在します。
ところが先月の滞在時、台風21号の影響から
ブルーシートが屋根にかかったままでした。
そもそも、かっての京都の風景がそれこそ川端康成が書いていた風景は
残念ながら見事に壊されていました。
どうして、東山魁夷の風景などを大切にしない街づくりが進むのでしょうか。
一方で環境を守る厳しい基準や制度があるのも事実で、
ワイフが京都に平屋建ての本当に京都なりの見事な建築ですら
それらに阻まれて結構制限されてしまいました。
京都の友人の建築家に依頼したのですが、
建築家と工業デザイナーとの闘いと
折り合いの日々は楽しい期間でしたが、
京都の景観づくりはやっぱり駄目でした。
そんなことに比べると、「年暮る」の風景をどうして守れなかったのか、
そんな気持ちが思い上がります。
きっと今では単なる土産物屋になってしまった著名なお店ですら、
立派な店構えとは裏腹な配慮ない出入り口の仕様に一言申し上げたら、
「京都のバリアフリーです」。
そのようなユニバーサルデザイン(私が持ち込んだ)はどうしようもありません。
京都だけではなくて、
東京大学で改修工事で現代画を処分、燃やしてしまったという
一件がありました。このような状況が現代では連続しています。
京都のこれだけの景観づくりは、行政だけでは無理なんだろうと思います。
私の部屋の窓から見える、「風景」・「情景」・「光景」と、
目と心で見る景色を大切にしていきたい。
それこそ、全国の景観づくり狂っている実例のひとつにすぎない
東山魁夷の一枚の絵ですら、一辺して変わっているのです。


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「また、岡倉天心を追いかけている」


   


     6月 12th, 2013  Posted 12:00 AM

それこそ、私が美大に入った頃、
私は友人に言っていたことがあります。
「自分はデザイナー志望だから、
決して、岡倉天心を好きになることなんて絶対に無いよ」と。
当然のこと、美大時代は岡倉天心や彼の行動を、
知ろうとすることさえしませんでした。
ところが、デザイナーになってから、
「茶の本」をまず何の動機もなく、読みました。
「力囲希咄」、この意味がわからないままに、
この意味を求めている自分に出会いました。
この言葉を作品名にしたこともあります。
そして、決定的になったのは、ボストン美術館に行き始めてから、
私はどんどんと岡倉天心にのめり込んでいきました。
気づけば、彼は福井藩主の子どもでした。
私を取り込んだのは「東洋の理想」でした。
「アジアは一つである。」
これが、著作の冒頭にあります。
そして、この言葉は1903年、海外で出版された書籍にもかかわらず、
冒頭の一語は、大東亜共和圏構想の広告コピーに使われました。
だから、あたかもこの一語はアジア支配力の一文になりました。
私は、この書籍も理解せずに、当時の軍部のまるで悪行推挙、
軍部はすべからく悪人集団、
この指摘と著作意図を常に読み比べてきた気がします。
最近、またあらためて岡倉天心を読み始めました。
というより、調べ尽くしたいことが大学に在学しながらも、
次々と増加してきています。
とても読み切れないほどの資料に取り囲まれています。
だから、写真の「東洋の理想」もハードカバーを探せなくて、
文庫本を買ってまで、もっと知り尽くしたいと思っています。
理由はただ一つです。
「アジアは一つである。」という彼のこの一語は、
決して、軍部に使われただけではなくて、
大東亜共和圏をなぜ、
この小さなアジアの小国が軍事を果たしてまでも、
「アジアの主張」をしなければならなかった。
この理由をなんとしても書き残したいからです。


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