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Posts Tagged ‘ブランドブーム’


「資本主義からの逃走」
   「ブランドは付加価値ではないということ」
  


   


     2月 26th, 2011  Posted 12:00 AM

ブランド化が創出する価値性
なぜブランドブームなのでしょうか。
理由は前述していますが、
私はブランド=焼き印的な目印では決して語れない、
さらに伝えきれないことがあることを指摘しておくことが大切だと考えています。
企業・商品という経営資源から富を獲得して、
その企業体の帰属者から、企業が存在している社会に、
何をもたらすのかということが全く不明になってきているから、
ブランド戦略なるものが横行しているにすぎません。
すぎないどころから、こうしたブームで抹消されていく事、
そのことを見極めることの重大さがあるということです。
このブームは、いわゆるファッション系の歴史ある欧州ブランドの真似事が源です。
欧州ブランドの商品価値感、これを付加価値と呼ぶ錯覚があります。
そして、デザインをも付加価値の創出職能だという、
私に言わせれば、大誤解が蔓延していることにつながっていることです。
デザインは、「全体価値」だということです。
ブランド化という「全体価値」
ブランドがもてはやされているのは、いわゆる欧州系のファッションブランドです。
しかし、こうしたブランドはある種の「カルテル」的に統制された老舗表示です。
その老舗ゆえに、歴史的に蓄積されてきた全体価値があることを見習うべきでしょう。
こうしたブランドの基盤が、アイデンティフィケーションにあることを確認するべきです。
当然、企業体として経営商材である「商品性」と「サービス性」を確認する必要があります。
そして、企業創立以来、時代とともにその時流との応答には、
必ず、時代認識での問題解決が、商材から企業存在性を常に確認してきたことがあります。
つまり、商材に向けて培ってきたことがブランドとして認知され、
今度はブランドになっているがゆえの新たな価値感の創出、
それは全体価値になっているというサイクルで語りきろうとしていることが重大だと思っています。


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「資本主義からの逃走」
   「社名・C.I.・ブランド、その認知度の意義は理念評判」


   


     2月 15th, 2011  Posted 12:00 AM

何が「企業」か。
営為組織をなぜ「企業」というのでしょうか。
「企」とは、つま先立ちしている形象。
「業」はぎざぎざやでこぼこであり、困難さや苦労を象形しています。
合わせて、苦労を超えて善の奉仕仕事という意味にまで昇華されています。
まさに人の「業」という報いを生じる基となる善悪までの意味(仏教用語)があります。
ブランドブーム、ブランドデザインブームはまったく軽薄で安易な流行でした。
ただ「儲けたい」という経営手法でしかありませんでした。
「信用される者」=儲のはずが、つま先だって、転んだ企業が増えました。
しかも、不景気脱出の手法というノウハウ本やブランドプランナーなどまで出現しました。
私は、企業はその成り立ちからのC.I.から企業ブランドが成立するという論理と経験値があります。
たとえば、企業名の成り立ちには、次のような分類が可能です。

  ● 創立者や創業地場からの名辞
  ● 企業内容や企業理念からの統語的や略語的な伝達名辞
  ● 商品名をそのまま企業名への名辞

私の名前はKAWASAKIゆえに、海外での日本製を表現する認知度があります。
私のメガネが話題になったとき、川崎重工の製品と報道されたことまであるほどです。
ある著名な創立者が、最も失敗したのは「自分の名前を企業名」にしたという話もあります。
しかし、日本では当然ながら創立者名の大企業が多く、
それが日本製であることを明示しているのは蓄積されてきたブランド価値と言ってもいいでしょう。
ただし、信用・信頼を失った場合には企業存続まで危機になります。
私の経験値では、ずばり商品名が企業名というのが「ブランド認知」は確実度を持っています。
したがって、ブランドブームを煽動する評論家はこのことを主張していますが根本は違っています。
社名を上記のように三つに分類しても、
すべての共通項は、「企業」ということばに集約されています。
理念あっての企業
それはなぜつま立ちして過去・現実・未来まで見ようとする組織だろうかということがあります。
そして、人間の営為の根本にある「業」=欲望の善悪判断です。
この二つを「理念」として整理し共有する組織こそ企業であり、
その識別が「ブランド」に他なりません。
そして、その識別は「何をその企業が社会に対して果敢」であるのだろうか、その評判です。


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