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「鎌倉時代名刀と江戸時代名刀を語り合う」


   


     10月 12th, 2014  Posted 12:00 AM

東京で打ち合わせ後に、有名ホテルの地下ショッピング街に、
「日本刀ショップ」があるというので、
本当に40年ぶりに「真刀身」を見に行き、
とうとうショップのオーナーと閉店まで話し込んでしまいました。
実家には3本「真剣=日本刀」があったと思います。
それは、中学時代高校時代に、父は「日本刀の販売市」に、
私を連れていきました。ともかく当時は美しいことを知りました。
時折、父が刀の手入れをしているのを見ると「出なさい」と言い
「見るのだったら、近づいては駄目だ」と言われました。
自分が真剣を初めて握った感触はひたすら「ゾォー」としましたが
それは鳥肌たち、畏敬というか、自分にはふさわしくないと
刀が静かに怒号を私にぶつけている感覚でした。
そんな話で刃物づくりに話が弾みだして話し込んでしまいました。
いわゆる今、流行しているダマスカス鋼のモノ真似表現では、
米国のハンティングナイフが日本刀のモノ真似だったことに同意見。
ダマスカス鋼文様は、肌打ちと呼ばれ下劣な日本刀でした。
その歴史性に無知なデザイナーは、こぞって包丁に採用し、
マスコミももてはやす有様は、日本美を全否定しているのです。
私は、海外の大使館入り口には必ず日本刀があるべきと言うと
まさしくその通りであって、日本の国宝の半分は日本刀ということ。
日本人が日本刀真剣の美学性を失っていることを述べられました。
鎌倉時代、殺人刀はまさしく殺人刀であり、
江戸時代は決して刀を抜くことが不可能であったかを知りました。
月光の刀身と太陽の刀身を教えてもらいました。
そして、刀の手入れとは、「自己を見詰めるだけの行為」とか。
そうだったのか、父は煮えたぎる想いや自己を照らし出すために、
刀身に向き合っていたから、私を部屋に入れなかったのか、
自分を見つめ直すために,私は部屋の片隅から遠くの父を見ていた。
鎌倉時代の名刀は、刀身刃にはチタンがコーティングされている、
そんなことを鉄鋼大企業の研究所で判明したけれど、
どうして、その時代にそれが実現出来たかは全く不明不思議。
日本刀の完璧な美学性は束から刀身、鞘、組紐に至るまで、
その再現すら不可能になりつつあるとのこと。
私は、やはり、次世代の刃物職人たちにはこの話を
確実に伝えなければならないことを思い知らされました。
そして、幾人かの有名な作家や俳優がどれほど詳しく、
どれほど、時代劇殺陣がインチキであるかを知りました。
昨夜、そのホテルの鉄板焼きコックさんの包丁が駄目かを
その場で語って、日本刀のビッカース値硬度が
日本が世界一で最高かを語ったばかりでした。
陰と陽の刀身光を実刀身で教わることができました。

「*棒鞘の日本刀・日本の美学*」


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『30年前のデザインを伝統工芸産地で商品化して今なお・・・』


   


     6月 16th, 2014  Posted 12:00 AM

新規起業しても30年後には1000社あっても2.8社しか残りません。
越前打刃物産地に「TAKEFU KNIFE VILLAGE」の商品は、
30年経ってもまだ商品であり、組合企業として未来があります。
このデザインをした頃は、高額過ぎる、木の柄がついていないなど
いっぱい非難されましたがメンバー達は私についてきてくれました。
武生特殊鋼材で、ステンレスと鋼をサンドイッチ構造の鋼板開発
「高品位ステンレス鋼700」を新素材化してもらい、
鋼部分は「ハマグリ刃」構造にて伝統技を継承しました。
グリップはステンレスとして、握ったときのバランスを設計。
木製であれば大腸菌繁殖は避けられませんが、
グリップとブレードの一体化が熱湯で「清潔」さを確実にしました。
今では、あたかもグリップとブレード一体化包丁は当たり前です。
しかし、このナイフのビッカース値硬度という切れ味はありません。
私はこうした伝統技を新素材と一体化で進化させたからこそ、
今なお商品は投資効果と費用対効果を長期に成功させたと思います。
ステンレスとサンドイッチ鋼の溶接によって、
「火づくり鍛造」という技は伝統を裏切って完成させたことが、
デザイン導入を産地が認めてもらえたデザイナー冥利です。
第一世代は10名でしたが、第二世代は20名になりました。
私は伝統工芸産地の後継者不足はリーダーであるべきデザイン能力、
その知性と美学性、その実務能力にあると考えています。
最近は造形力と新素材開発力、これらの無能なデザイナーがいます。
それを税金で無責任な行政が口出しをして台無し例を見ます。
無知な行政などに伝統工芸を任せてはならないのです。
私は、第二世代には、新たな製造方式と新素材で、
「もっと、美しい切れ味」を年内には発表をしたいと考えています。
そして、東京を超えて、欧米・アジアで日本のモノづくり、
その神髄を見せて、さらに現地を拡大していきたいと思っています。

『鉛筆削りナイフ・伝統技の記号づくりと情報づくり』
「タケフナイフビレッジの次世代へ」


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