『資本主義からの逃走』
「鶏卵の喩え・まったくの私論」
11月 27th, 2010 Posted 12:05 AM
鶏が先か、卵が先か
後漢の時代の宇宙論に鶏卵の話があります。
あるいは、遺伝子学的な鶏卵の話があります。
つまり、「鶏が先か、卵が先か」という話です。
上記二つの話は、それぞれの成り立ちがありますが、
私は私論として、どちらが先か、というのを
ひとまず「鶏卵の喩え」という具合に考えることにしています。
実に当たり前の話を持ち出せば、
「親子どんぶり」はどっち?、というようなことも、
考えれば考えるほど結論は、人ぞれぞれに「鶏卵の喩え」になります。
鶏肉から先に食べるか、卵とじのご飯を食べるかというような話です。
遺伝子的には、一応は「卵が先」だったという話があります。
さて、私はこの「喩え」を応用して考えることにしています。
ハードが先か、ソフトが先か
実例を一つ上げます。
「ハードが先か、ソフトが先か」という問題提起は、
まさしくこの「鶏卵の喩え」になります。
私が実体験、デザイナーという立場では、どうしても結論は、
「ハード」です。「ハードがあってソフト」という体験が多かったからです。
ところが最近は、ソフトが先かもしれない、と考えるている自分にハッとすることがあります。
特に、具体的には「医療機器というハード設計」にあたっては、
ソフトを十分に知り尽くさないとハードのデザインに向かえない経験が増えてきました。
とりあえず、これまでは「ハードがあってソフト」、
この結論が崩れだしてきているということを書きとどめておきます。
Tags: ハードが先か、ソフトが先か, 鶏が先か、卵が先か, 鶏卵の喩え
Posted in 999「番外編」, 資本主義から逃走せよ!
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