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Posts Tagged ‘デザイン’


7月31日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 31st, 2010  Posted 9:30 AM

7月31日 先勝(壬午)

「学際的な総合」
あるいは、
「総合的な学際」を
最も支援するのは、
コンピューターというツールである。

そして、
そのツールによるネットワーク、
これをメディア化してしまう
人間性の回復・人間関係のネットワークを
メディアとするデザインを考案し、
提案しなければならないだろう。

『デザインは言語道断』学際


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7月30日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 30th, 2010  Posted 2:21 PM

7月30日 赤口(辛巳)

まさしく「デザイン」が「学際」の
具体的手法論であることを、
私なりのデザイン活動での
成果を事例として
発表していくことが、
私の役割であり使命だと思う。

『デザインは言語道断』学際


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7月25日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 25th, 2010  Posted 9:00 AM

7月25日 先勝(丙子)

私は、
デザインにおける饒舌さ=過飾は認めない。

装飾とはデコレーションであって、
決してデザインではないからである。

『デザインは言語道断』品格


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7月21日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 21st, 2010  Posted 9:30 AM

7月21日 先負(丁卯)

ユニバーサルデザインとは、
福祉的なモノや共用できるモノの
デザインでは決してない。

自分の死を主観から客観へと
知行合一できうるように
支援するための
デザイン思想であり、
その思想を反映させ、具現化した
モノの体系であることなのだ。

『デザインは言語道断』知行


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7月19日
川崎和男のデザイン金言Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 19th, 2010  Posted 7:13 PM

7月19日 先勝(乙丑)

「美しいデザインが
 デザインの本質である」
ということは白明のことだ。

『デザインの極道論』うつくしい


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7月18日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 18th, 2010  Posted 9:30 AM

7月18日 赤口(甲子)

個人の主観性の本質は、
人それぞれの感性と
その人なりの精神性である。
その精神性は強靱であることが前提。

それを制限したり、
廃絶する権利は誰にもあるはずがない。
まして、
美への感激や感動である。
だから、
感激や感動も強靱でなければ、
何の意味もない、情緒でしかない。

『デザインの極道論』うつくしい


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7月17日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 17th, 2010  Posted 9:30 AM

7月17日 大安(癸亥)

デザイン美には、
美しいデザインと
デザインの美しさが含まれる。

「美しい=形容されたデザイン」と
「デザインにある=
 名詞となっている美しさ」
というわけだ。

『デザインの極道論』うつくしい


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『資本主義からの逃走』
    「伝統工芸産地と波、幸運なスタート」


   


     7月 17th, 2010  Posted 12:00 AM

自問自答の始まり
「そんなに、デザイン、デザインと言うけれど、
デザインで産地は生き返れるのか?」。
この言葉を投げかけられたことをいつも思い出します。
以後この自問は忘れたことがありません。
私の東京でのデザイナー経験が「何だったんだ」ということになります。
この自問自答に思い悩まなければならなくなった初体験でした。
私は、今も現役で、デザイナーとして製品開発から商品展開をしています。
が、この「問いかけ」を常に抱いています。
伝統工芸と波
30歳でした。ふるさと福井に帰って、もちろん仕事も無く、
夕焼けの日は、日本海に沈む夕日と波を撮影するために車で出かける日が連続していました。
興味の対象は「波」でした。
「波」のかたちは、決して同じかたち=形態のものはありえません。
そして、音響をデザイン対象にしてきた経験は「音波」でもあったわけです。
色彩も「波」でした。
私の中では、これから取り組む「伝統工芸・越前打刃物」と「波」が共存していました。
これが、今考えると「幸運」だったのです。
車椅子生活になったことは「不幸」でしたが、
「幸」そのものが実際はとんでもなく怖いことを示していることを知っていましたから、
「幸運」はすぐにやってきていたのです。
しかし、伝統工芸産地の職人さんたちに、
「だから、デザインなんだ!」と言い切れる自信は、まったくありませんでした。
その「自信」獲得のために、私はデザイナーとして振り出しにもどされていました。
私に覆い被さってくる「波」の形態を見定めるスタート地点では、
「歩けなくなった私」と「車椅子を必要とする私」を見詰めていました。


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7月16日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 16th, 2010  Posted 9:30 AM

7月16日 仏滅(壬戌)

輪郭線的には、
「美」
「美しさ」
「美しい」
という言葉にはそれぞれの
領域がある気がしてならない。

言い直してみれば、
「デザイン美」
「デザインの美しさ」
「美しいデザイン」
ということになる。

総合的な領域には
デザイン美がふさわしい。

『デザインの極道論』うつくしい


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7月12日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 12th, 2010  Posted 10:57 AM

7月12日 赤口(癸亥)

デザインも、
「品ある情報」のためのデザインへと
革新していくべき時期に来ている。

「品」について、
もう一度根底から考え直す時代に
入っている。

『デザインは言語道断』物品


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