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Posts Tagged ‘デザイナー’


『資本主義からの逃走』
 「# チュッパチャプス武器論・効能考察です #4」


   


     3月 23rd, 2010  Posted 12:01 AM


効能=結果考察
戦術結果というのは「効能」ですから、
チュッパチャプスの効能を考察することに集中します。
論文の文体プロット的に、私が題材とした映画の武器結果から、
チュッパチャプスが武器だと思ったことへの考察・熟考を
試みてみたいと考えます。
ジェネラルルージュの凱旋
ジェネラルルージュの凱旋」というのは、
映画テーマとして現代救急医療制度、
その問題点をとらえた物語性としては面白く、
エンターテイメント性を、社会正義とするための反正義性、
贈収賄を二重構造として、主人公の横柄さや権力への反抗が
よく表現できていたと私は評価しています。
その演出小道具が、チュッパチャプスであったということ。
しかもチュッパチャプスも贈収賄物品だったというオチに、
「武器」なるものの、威嚇性・抑止性がどれほど実際的には、
滑稽さがあるかという批評性が基盤であり、演出でした。
この映画の演出結果、それは演出効果であり、
チュッパチャプスの武器効能に直結していると考えます。

無論、ジェネラル=提督たる緊急医療時の指揮官の話です。
緊急かつ救急医療に立ち向かうときの指揮官の決意には、
青ざめる唇に口紅を塗ってまで自己を奮い立たせるという
口紅と凱旋光景があるという題名があっても、
全編では、主人公が自己選出にはチュッパチャプスの存在、
私はその存在物を「武器」だと感じ取り、
この武器を演出にとどまらず、
自分の武器にしようとさえ思いついてしまったわけです。
そして、明らかに、この武器論を書くまでには、
武器として使用し、武器なるモノのあり方を確認しました。
実験というより実施した体験からの考察です。
モノの体系は武器の体系
だから、結論は結果・効果は効能、
すなわち、現代のモノ、そのすべからく体系には、
ツール性とメディア性の分別も述べてきました。
結局、ツールやメディアも、武器なのです。
だから「モノの体系」論として、
たかだか、舐め舐めする飴にすぎないチュッパチャプスすら、
使い方では「武器」になる!ということです。
武器デザイン
したがって、文明が人類に人工物としてモノ全てが、
武器であるというのは、決して言い過ぎではないと考えます。
デザイナーとして、
モノのデザインは「武器デザイン」を常に意識することです。
欧米のデザイナーが、拳銃デザインに関わっていることは、
あまり知られていませんが、
私は毎年、新製品が登場する拳銃デザインは、
誰が、どのデザインスタジオがデザインしているかを、
「造形言語」から読み取ることができると自負しています。


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『資本主義からの逃走』
「ケータイはツールか、メディアか、
     それは使用者・所有者の人格が決定している」


   


     3月 18th, 2010  Posted 9:39 AM

Tool or Media
私はモノのデザインをしています。
モノを所有する、使用する、いづれもユーザーと呼びます。
たとえば、ポルシェという憧れの車があります。
ポルシェを所有している人は、
その人自身は、「使用観」だけで所有しているかもしれません。
これは、ポルシェが「ツール=移動する手段具」です。
しかし、いつかはあの車を「所有」したいという人にとっては、
ポルシェは「メディア=移動具よりも顕示性表現の媒体」です。
モノへの所有観を自己表現するとき、
そのモノは「メディア」になります。
しかし、
モノへの使用観をあるいは使用感覚を軸にする人にとって、
そのモノは「ツール」です。
もっともモノが、「ツールでありメディア」になるのは、
モノの「存在性」=オントロジーになっていくと思います。
私は、きわめて「所有観・所有感」にこだわっています。
それは、自分が選んで所有していることは、告白すれば、
モノで、自分の存在性をも強く演出していることです。
たとえば、
モノへのこだわり感覚は、「所有してなおかつ使用感覚」が、
「望ましくて、好ましい」=価値観が私的であってほしいのです。
私は、これまで携帯電話が自動車用からスタートしたときから、
この感覚を、自分に差し戻して、
自分とケータイとを、「ツール」なのか、「メディア」なのか、
徹底的に考え抜いてきました。
Mobile Phone as Media
結果、
明らかに、「ケータイ」は、「メディア」なのです。
無論ツールとしての機能と性能は最高であってほしいのです。
残念ながら、私自身が「私のために」社会システム、
すなわち、生産システムから流通システムに載せて、
「製品化」から「商品」にしたモノは皆無です。
とりわけ、デザイナーにはそのことを徹底して、
自問自答してほしいのです。
結論は、モノ、たとえばケータイ、
その「ツール」であるのか「メディア」であるのかは、
ユーザーの人格の投影であることは間違いありません。
ちなみに、現在、私が愛用しているのは、
いづれもホワイト色のiPhoneとBlack berryで、
メガネテンプルのカラー毎に合わせた、
それぞれカラーのHeadsetです。


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3月15日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 15th, 2010  Posted 9:57 AM

3月15日 赤口(甲子)

天職と考えたからには生涯、
デザイン美=美しいデザインを
追い求めていくのだろう。

その中で
「美しい日本のデザイン」の
一端として
「美しい私のデザイン」を
残したいと考えている。

『デザインの極道論』をかしい


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3月14日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 14th, 2010  Posted 9:49 AM

3月14日 大安(癸亥)

デザイナーが遅れている。
だから、
デザイン優先主義の商品が
登場しないということになる。

『デザインの極道論』をかしい


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3月13日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 13th, 2010  Posted 9:45 AM

3月13日 仏滅(壬戌)

「をかしい」と「おかしい」から、
真のおかしさを
創るデザインに向かいたい。

『デザインの極道論』をかしい


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3月12日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 12th, 2010  Posted 11:44 PM

3月12日 先負(辛酉)

デザイナーはこれを重く
受け止めなければならない。

「おかしい」デザインと
「をかしい」デザインが
あるということだ。

『デザインの極道論』をかしい


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3月9日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 9th, 2010  Posted 9:00 AM

3月9日 赤口(戊午)

なぜならば、
理想の形態は
事務手続きのような
製図では表現し得ないからだ。

『プラトンのオルゴール』
デザイン「製図」はビットの時代へ


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3月8日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 8th, 2010  Posted 11:50 PM

3月8日 大安(丁巳)

私は、この「図解」に、
図学をベースとしながらも
やや絵画的な表現を込めている。

デザイナーの製図は
一枚の絵画であってほしい
と思っている。

『プラトンのオルゴール』
デザイン「製図」はビットの時代へ


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『資本主義からの逃走』
 「ビジネスモデルにデザインを組み入れた意義」


   


     3月 8th, 2010  Posted 12:01 AM

結果判断
日本の産業構造が国際的立場を危うくしています。
その原因は、すべてに立ち返れば、
「日本人」という意識が、敗戦というトラウマから、
まったく解放されないままだったことに始まります。
むしろ、私は「結果」を評価するべきと考えています。
現在、日本という国家構造と国民の民意と意識、
こうした背景によって明らかに経済的基盤への不安は、
ほぼ失望から絶望にすら至ろうとしています。
「政権交代」への民意期待があえなく失望に変質、
これを私は「結果」と判断しているのです。
したがって、この「結果」を「考察・熟考」するには、
私がデザイナーであることを、
社会化していくことだと考えるわけです。
それはデザイン実務で、
その実例を提示提案することでした。
一つは、「ビジネスモデル」というある意味の理想が、
まったく歪みと曲解が正当化されているという結果です。
「収益構造」は、「利益独占構造」となり、
企業存在性を証明する「アイデンティティ」は、
「社会還元」でしたが、
それは崩壊していることを看過していることです。
綺麗事
デザインを組み入れるには、
「美学性+倫理性」=綺麗事です。
現況に対する綺麗事という無謀さは、
笑いとばされることでしょう。
綺麗事をどこまで訴え続けられるか、ということが、
デザイン・デザイナーの本質を社会化させる道理であり、
なおかつ、デザイナーの綺麗事という二重性です。
私の持ち出した「ビジネスデザインモデル」には、
「収益構造と社会還元」も二重構造になっています。
二重構造


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3月7日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 7th, 2010  Posted 9:00 AM

3月7日 仏滅(丙辰)

というのは、デザイナーの描く図面は、
意匠図と呼ばれる図解=ダイヤグラム
であるからだ。

『プラトンのオルゴール』
デザイン「製図」はビットの時代へ


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