11月 20th, 2019 Posted 12:00 AM
私は小学校時代は福井市と越前市(現・武生市)に転校しています。
その時代、越前市の学校の校門近くには、二宮金次郎像がありました。
勤勉と倹約、「積小為大」は子どもの模範としての姿だったのでしょう。
今や歩きスマホにつながるとか、
労働が虐待だとか銅像を見かけなくなりました。一方福井市では、
橋本左内先生を教わりはじめ、左内が16歳の時書いた
『啓発録』から中学校2年生で「立志式」を実施しています。
そしてかく言う私も、大阪大学に移籍した思いの中には、
左内の学んだ「適塾」が阪大の前身だというゆかりを感じていました。
適塾創設175周年のシンポジウム「医の知の未来へ」では
「適塾橋本左内と先端デザイン学」と題した講演をしましたし、
名誉教授として退官後も、適塾記念センター適塾記念会の会員となり、
橋本左内に関しては、講演や文章でその思想や哲学、功績を広めたいと願っています。
橋本左内が16歳で書いたと言われる「啓発録」には、
・ 「去知新」
・ 「振気」
・ 「立志」
・ 「勉学」
・ 「釈交友」があります。
今では福井市の小中学校では彼の「啓発録」を学び
「私の啓発録」という作文を書きます。
そして、大阪大学適塾記念センター(自宅の近辺)では
適塾関連の多くの文化財を保存していますが、
橋本左内生誕185年のテレビ放送で知った「白鷺会」がありました。
早速、これにも会員登録しました。
左内を語る時、福井出身の阪大に関わる偉人、
橋本左内、藤野恒三郎、そしてオチとして私で講演は締めくくっています。
「啓発録」を今でも読んでいます。
Tags: 16歳, 175周年, シンポジウム, スマホ, ゆかり, 二宮金次郎像, 会員, 会員登録, 倹約, 偉人, 先端デザイン学, 前身, 功績, 労働, 勉学, 勤勉, 医の知の未来へ, 去知新, 名誉教授, 哲学, 啓発録, 大阪大学, 小中学校, 小学校時代, 左内, 思い, 思想, 振気, 文化財, 文章, 校門, 模範, 橋本左内, 武生市, 白鷺会, 福井出身, 福井市, 移籍, 積小為大, 立志, 立志式, 藤野恒三郎, 虐待, 講演, 越前市, 転校, 適塾, 適塾創設, 適塾橋本左内, 適塾記念センター, 適塾記念会, 適塾関連, 釈交友, 銅像, 阪大
Posted in ConsilienceDesign, 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務, 祈望から企望へ
目次を見る
11月 22nd, 2015 Posted 12:00 AM
11月21日
名古屋市立大学芸術工学部 20周年記念事業にて
記念シンポジウムに参加しました。
名古屋市立大学芸術工学部 20周年記念事業実行委員会
・日 時:2015年11月21日(土) 13:30?20:30
・会 場:芸術工学部北千種キャンパス
第1部は卒業生のプレゼンテーションです
川崎和男研究室4期生の発表
第2部のパネルディスカッションです
パーティにも参加しました
全員を見送るように最後まで会場におりました
目次を見る
10月 29th, 2015 Posted 12:00 AM
来る11月20日
医工Deシンポジウム(PDF)にて基調講演を行います。
どなたでもご参加いただけます。
国立大学法人滋賀医科大学・公益財団法人滋賀県産業支援プラザ
・日 時:2015年11月20日(金) 14:10?15:10
・会 場:大津プリンスホテル コンベンションホール淡海
目次を見る
8月 4th, 2013 Posted 12:00 AM
私は講演では必ず予定時間をぴったりと厳守すること、
これを一つの私なりの美学と考えてきました。
しかし、ずばり最も敬愛する橋本左内と私の職能との結びつき、
二つのテーマでは、語りたくて、映像54枚にも関わらず、
45分では語り切ること困難であり、55分で10分オーバーでした。
「啓発録」5条は勿論ですが、「国家の体計4項目」を紹介し、
福沢諭吉と安政の大獄・安政の大天災大飢饉から咸臨丸まで。
そして、適塾での使用品を骨董品として収集し寄贈した、
これも福井県出身の藤野恒三郎阪大名誉教授は腸チフス発見者、
しかも、彼の祖父は橋本左内の父親の教え子ともなれば、
私は毎週1回半年の授業をすることができるでしょう。
阪大総長もドクターであることから、適塾と大阪大学の系譜は、
これまた時間オーバーでしたが、超・面白い、いわば講義でした。
そして、登壇者の医学系研究科教授西田幸二教授は、今最も話題の
iPS細胞での眼科系再生医療は、わが国のiPS戦略最先端。
医学医療系の作家、久坂部羊氏は阪大医学部出身のドクター。
彼は数日前に逝去された父親の終末医療は、
最大の尊厳死の迎え方や現状医療への全く新しい死の受け入れ方。
この三名の登壇者は、自身の講演後、
シンポジウムで勝手気ままに会談でしたが、
これをまとめるMCはプロのアナウンサー網浜紀子さん。
しかも彼女は博士号を大阪大学で取得。
今おそらく学位取得で最難関を社会人になって取得とは、
この困難さが分かるだけに、改めて感嘆し敬服の限りでした。
このところ、京都で循環器ドクターへの「最先端医療デザイン」。
そして「危機解決産業創成デザイン重要拠点」紹介を、
大阪府警本部長の基調講演後と、立て続けでした。
すべからくが、阪大退官後、特任教授としての大きな役割でした。
ひと息つけそうですが、
橋本左内は16歳に適塾入塾後、藩医・藩政・国政提言、
この行動は、「安政の大獄」で斬首の刑26歳でした。
彼の10年間を考えれば、私はまだまだやり残しています。
ひしひしと克己たる自分見直しのシンポジウムに登壇しました。
Tags: iPS細胞, シンポジウム, ドクター, 久坂部羊, 医の知の未来, 博士号, 咸臨丸, 啓発録, 大天災, 大阪大学, 大飢饉, 安政の大獄, 敬愛, 映像54枚, 時間オーバー, 最先端医療デザイン阪大退官, 橋本左内, 眼科系再生医療, 祖父, 福沢諭吉, 終末医療, 網浜紀子, 緒方洪庵没後150年, 美学, 腸チフス, 藤野恒三郎, 西田幸二, 講演, 講義, 適塾175年, 阪大名誉教授, 阪大総長, 骨董品
Posted in 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務, 祈望から企望へ
目次を見る
2月 4th, 2012 Posted 12:00 AM
1980年代に米国から「製品記号論」が華やかに登場しました。
1989年・名古屋での「国際デザイン博・シンポジウム」で
私なりの製品記号論として発表した作品=商品です。
「お天気計」という8時間後の晴雨計です。
モノとしては一切の表示用語を消しています。
赤い玉は太陽を表し、青い玉は雨を表示、
ドーナツ形状は雲。
それぞれのインジケーターの点滅で晴雨を示します。
そして、背面に電池を収納しますが、いわゆる電池蓋はありません。
90度右回転させれば、電池ボックスが表れます。
背面にはまったくビスもありません。
徹底した「かたち」でその性能を示すこと、
それが製品記号そのものになることを意図した作品です。
残念ながら、この晴雨を気圧差で読み取る機構は手づくりです。
この機械式を手づくりする職人さんが居なくなってしまいました。
あらためて再現するには
センサーで電気回路設計が必要だと判断しています。
この製品が「かたち」=形態で表現した様々な要素と要因の「かたち」、
そして統合された「かたち」が製品となったとき「記号」=signareに
ようやく製品記号が現れます。
しかし、「かたち」というかたちはありえず、「記号」の集約にこそ、
論理=製品記号論が生まれるという私の造形デザインの一つです。
現代、日本製品にはすっかり忘れられている「かたち」の論理と造形、
あらためて強調しておきたいと思います。
Tags: 1989年, インジケーター, お天気計, かたち, シンポジウム, センサー, ビス, モノ, 作品, 収納, 名古屋, 商品, 国際デザイン博, 太陽, 性能, 意図, 手作り, 晴雨, 晴雨計, 機構, 気圧差, 点滅, 米国, 職人さん, 背面, 表示用語, 製品記号論, 設計, 雨, 電気回路, 電池, 電池ボックス, 電池蓋
Posted in 企望を「までい」具現へ, 祈望から企望へ
目次を見る
6月 5th, 2010 Posted 2:30 AM
6月4日
第90回品質管理シンポジウムにて
講演を行ったBOSS(川崎和男KazuoKAWASAKI)。
経営者の方々に向けての
今回の講演タイトルは、
「かたち・きもち・いのち」
を支えるデザイン
質疑応答では、iPadを用いて
頂いたご質問に答えていました。
目次を見る