kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘ゲゼルシャフト’


「風土の復興より復権デザイン・基本案3」


   


     7月 25th, 2011  Posted 12:00 AM

今日地デジになりました。
被災地も楽しめているのでしょうか。

さて、私はインドと仏教の五大思想から、
25のマトリックス思考面に、
迷わず配置し決定しておく目標と目的。
それは、「文明の再構築」と目標と
「再文明化された風土の復権」が目的です。
この目的と目標は、
まず、被災地と被災者の人たちの生命の安全安心です。
そして、その安全と安心によって、
国内外の人たちにとって、最も先鋭的進歩的「まち」。
元々住民だった被災者の人たちの日常性を復旧し、
国内はもとより海外の人たちにとっても、
「住んでみたいまち」になること。
これは復興ではありません。
伝統的風土性の復権をめざすべきだと考えています。
物質系・情報系・エネルギー系が、
「スマートグリッド=SG」であれ、
「スマートコミュニティ=SC」であれ、
そのような形式が最先端だからということで、
構築することが当然ではありません。
SGもSCも一つの手法にすぎません。
最大の目標と目的には「風土性」を再創出すること。
風土性デザインは、少なからず、
まずは「ゲマインシャフト」地縁性・血縁性の確認。
そうして、海外がやってきてくれることです。
そうならなければ、
「ゲゼルシャフト」社会成立不可能でしょう。
そうしたことが「復興計画」デザインです。
実際は被災地はまだまったく救済と復旧していません。
それどころか、数十年、あの原発立地帯への
政治的手続きには、企画も計画も、
いわゆるグランドデザインはまったく皆無ゆえに、
海外に産業構造すら移行し始めています。
その最大の問題はリーダー無き国家を、
国民が諦めてしまっていることだからです。
現政権政府への期待感喪失が歴然としていることです。
政党政治にこの復権作業能力は無いと判断しています。

 


目次を見る

『資本主義からの逃走』
   「東京一極集中は『情報空間の進化』で変容する」


   


     11月 8th, 2010  Posted 12:00 AM

一極集中・東京
集落は都市と地方に分化しています。
都市=都と地方=鄙、この分化も裏表があります。
ただしこの裏表は明確ゆえトポロジー性の判断はまだ不可能です。
トポロジー性とトポロジー的は使い分けなければならないでしょう。
あらためて記述していくつもりです。
都市についてわが国は東京であり、全国地方は鄙になっています。
東京=都、この一極集中に限定されています。
「地方の時代」というアジテーションはまさに木霊したままです。
私は地方の崩壊は、第一次産業と呼称したところでの産品、
農産物・海産物への政策介入が巨大かつ専制的だったからだと判断しています。
現代、わが国はすべからく第三次産業が拡大しています。
敗戦トラウマ
そして、資源の無い貿易立国で生きなければならない日本の宿命は、
次の二点です。
ひとつは一極集中化はそのまま人口の偏在化につながり、
まさに第三次産業にも集中していることです。
そして、この集中化は地方においても同等の傾向があります。
もうひとつは、新たな産業化・業態の変化に東京も地方も無自覚であり、
意識改革は政治政策よりも企業政策に依存し過ぎていることでしょう。
この傾向に配置され続けてきた大きな政策には根本的に「敗戦トラウマ」が残存していることです。
東京のローカル化・グローバルという虚構
かってわが国の社会構造は、ドイツ的集落構造の呼称が見事的確だったと思います。
ゲゼルシャフトとゲマインシャフトでした。
しかし、本場ドイツにおいても、この集落構造は分断と分化が起こっています。
これはまさしく、資本主義の急変そして崩壊と連鎖しているように私には思えてなりません。
この言葉は今や、ローカルとグローバルに飲み込まれたと考えるべきでしょう。
私は、一極集中の東京は地方都市でもその相似形が派生していることに、
ある種この問題解決のヒントがあるとイメージしています。
それは、日本そのものがローカルとなりグローバルがどこなのかはまさに虚構です。
その虚構は「情報空間」に集中、いや収束していると再考しています。


目次を見る

『資本主義からの逃走』
 「共時性、さらにゲマインシャフトからの民衆の美」


   


     11月 8th, 2009  Posted 8:10 AM

「100匹目の猿」現象を知っていますか。
私は、かなり真剣に信じていた時期があります。
しかしこれは、
ライアル・ワトソン のメタファー創作だったのです。
そして彼も、この釈明をしています。
それでも、私は「感覚的に」は、
ある種の「共時現象」という見方が可能かも知れない、
と今でも思っているのです。

理由は、簡単です。
デザインのためのアイディアは、
「共時性」がかなり起こりうることがあるものです。
特に、自分が発想していて実現が遅れた時など、
私は決して「真似などしていない」!
オリジナルだけど、先行したアイディアが出れば、
デザインを世に発表することはできません。

どうしてこのような話を持ち出したかというと、
ロシア・アバンギャルドの時代に、「共時的」に、
日本では、柳宗悦「民芸運動」
1926年から起こります。
ロシア・アバンギャルドと同時期です。

091108yanagi1

これは、まったく共時現象だと思うのです。
民芸が、民衆をめざしての創造活動であり、
ロシア・アバンギャルドも、
民衆のために、ナロード・ニキだったのです。

私は、
柳宗理柳宗悦・長男)先生が恩師でしたので、
美大時代にその薫陶を受けています。

091108yanagi21
091108butterfly1

「美は、
ゲマインシャフトによってのみ創出される」
というのが、
デザイナー志望時にインプリンティングされています。
したがって、
ゲゼルシャフトではなくて、
なぜ、ゲマインシャフトなのか、ということは、
実は、レヴィ=ストロース
「・・・完璧な仕事を完遂することが出来るのは、
田舎者と野蛮人である。・・・」に
連鎖していると思えてならないのです。
つまり、
ゲマインシャフトと資本主義との関係が、
どこかで通底しているという
問題意識に構造性があると直感しています。


目次を見る