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Posts Tagged ‘エソノメソドロジー’


『SF映画に示唆される未来性の確認には「目印=sign」がある」


   


     7月 17th, 2014  Posted 12:00 AM

私は月4本は必ず映画を観ることにしています。
京都か金沢です。それは車倚子者に対応しているからです。
東京は駄目ですし、大阪には清潔感が欠如しています。
とりわけ、SF系の映画には、工業デザインの未来的な「かたち」が
その映画のプロットと演出性、CG表現に表れているものです。
当然のこと、SFは記号論やエソノメソドロジー的な想像力と
比例関係にあると思っています。
したがって、未来にその形態=かたちや機能実装性はあり得ないと
私が判断できる映画は繰り返し観ることはありません。
「Oblivion」はすでに幾たびか観ていますが、Plotよりも、
登場するモノに最も興味があります。
未来の住宅、そのコンピューターシステム、新たな飛行物体、
そして、燃料電池や巡回防衛用の武器に、SFデザインがあります。
もし、このヘリコプター的な飛行物体のスピードに、
人間の動体視力性がついていけるかどうかはあやしいですが、
私は美しいかたちが出来ていると思います。比して、
登場するオートバイ風の形態は発想不足をいくつも発見可能です。
また、この映画を観ながら、この映画をヒントに開発可能なモノを
いくつか発見することができました。
そうなると、原書で確認をしたくなります。
SFは人間の想像力が未来に対してどの程度であるかを確認できます。
最近の工業デザイン的な成果は、未来性への諦観があるようです。
諦観ならば、それなりの思想があるのでしょうが、「諦め」ならば、
その諦めは、技術進化を拒んでいる「金儲け」だけの浅ましさです。
特に、ベンチャー企業の経営者には「未来性の大欠如」が明白です。
おそらく、このような未来性やせめてSF性を排除している企業は、
30年後には、1000社企業の中で生きのびているのは、3社程度です。
無論デジタル技術を基盤にする大企業はすでに倒産が見えています。
SFには、エソノメソドロジー的な未来発想の目印があるのです。
つまり、「目印=sign」を創出するdesignがありますが、
resigin という「諦め」という意志決定もあるということです。

「SーSign、私はこの言葉とともにある」


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『資本主義からの逃走』
 「Smart Phoneもどうしてデザイン発想は停止するのか」


   


     3月 15th, 2010  Posted 9:11 AM

「ケータイ国際フォーラム」での制作を20分、
プレゼ画面づくりで過去に関わってきたケータイ、
その資料をほとんど見直してみました。
携帯電話は、赤坂でフリーになった時に自動車電話から、
私の体験はスタートしました。
肩からかけるあの大きかった頃、
米国でモトローラを手に入れる苦労やベンツ仕様の
最も高価だったケータイは、SLKと同じ色彩でした。
どれだけのケータイを保持してきたことでしょうか。
ケータイとデジタルペンとヘッドセットも全て体験。

Star Trek

そしてなんと言っても、「スタートレック」の
Communicator・60年代にこの発想はありました。
そのガジェット玩具も手に入れてコレクションしました。
大手通信企業で1年、人間工学的な調査で、
最適文字レイアウトを決定しました。
それからFOMAの企画に加わりましたが、
私の提案は当時早すぎたようでした。

ある企業トップから、アドバンスではまったく、
入力キートップを無くしたインプットを提案しました。
しかし、それは幻です。
すでに私のデザイン意図は、SmartPhoneでは駄目だ、
という思考に至っています。

ケータイのContentsは、ContextとSyntaxへと
その進化を遂げるべきでしょう。
ところが、どうしてiPhoneBlackberryの発想に
デザイナーは拘束と呪縛されています。
それは、外観形態とその「作法」と「会話」、
そして、「存在」を、

Ethnomethodology
Ontology

根本的に「エソノメソドロジー」「オントロジー」
徹底して近接しなければならないのです。


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『資本主義からの逃走』
 「NetworkというWebにある価値と心地」


   


     3月 14th, 2010  Posted 11:30 AM

53回目・2009年のベネチア・ビエンナーレに登場した作品。
トーマス・サラセーノは、地球を次のように表現しました。


“Galaxies forming along filaments,
  like droplets along the strands of a spider’s web.” by Tomas Saraceno

この作品は、現代の地球をもっとも具現的に表現しています。
私のこの作品の印象からデザイナーとしての直感と予感が、
今なお次々と、PC ・Wi-Fi ・SmartPhone ・Cloudなどの
一般的なNetwork社会の世界観へ、
次のようなデザイン対象への背景思考を広げてくれています。
私のデザイン対象は、ハードであり、ソフトであり、
そのデザイン成果には、価値感と心地感を「最適解」として、
常に意識化していなければなりません。
問題=Problemへの解答=Solutionは形態に集約させます。
しかし、成果であるべき条件を設定します。
私は、その成果に、「コンテンツ」が「コンテクスト」に、
「コンテクスト」が「シンタックス」へ確実にしていく進化を
デザインが成し遂げてほしいと思っています。

私たちがコンピューターを手に入れてから、
日常の頭脳活動のツールとして、あるいはメディアとして、
「対話性」=インターラクション性の使い勝手にこだわることが
大きなビジネスとしても成立しました。
このビジネス・産業・資本性は、
すでに「資本論」や「経済論」・「経営論」をも変革しました。
おそらく、これからの変貌についても予知・予測すら、
あらたな資本になっています。
しかし、その資本の創出・運営・監理・維持・制度は全く
未定であり、不明だと言ってもいいでしょう。
だからこそ、デザイン、デザイン職能の役割を組み込みます。

これは私が主張する「デザイン領域の拡大」の一つです。
その学理的背景に「エソノメソドロジー」「オントロジー」を、
配置しています。
これはとりあえず、「経営・経済」の論理では、
決して語ることは不可能だとさえ思っています。
なぜなら、「エソノメソドロジー」も「オントロジー」も、
webやNetwork上での「会話」という作法や「存在」を
人間に対して差し向けてさらに「問題」を与えてくるのです。
その「価値」に対決する「心地」は同値でなければならない、
というのが、私がデザイナーとしての姿勢・態度です。


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