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「見えないということの連鎖」


   


     6月 21st, 2011  Posted 12:00 AM

最近、放射能の見える眼鏡があれば、
こんなことが冗談、真剣な会話になります。
「コンピューターが消える日」、
MicrosoftのWinsows7発表時に、
このタイトルで基調講演をしました。
タイトルが過激と言われ一波乱ありました。
しかし、今や「クラウド」などが一般化してきて、
コンピューター、つまりサーバーが見えません。
見えないこと、インタンジブル=触れないこと、
これが幾重にも重なった時代になってきたのでしょう。
現実、原発も日常生活からは見えない場所にありました。
核廃棄物は地中深く埋めてしまいます。
そして、情報社会のあらゆる面を「見えなく」する文明、
この大きなパラダイムシフトが生活を包囲しています。
どうやら、情報社会は「見えなくする」こと、
インタンジブル文明へと技術方向を変えてきたのです。
「死」も見えません。見せない方向にあります。
ところが「生」の確実性は見えることと触れることです。
結局、今、私たちが直面しているパラダイムシフトは、
 見えること:見えないこと
 触ること :触れないこと
このコンフリクトの連鎖環に佇まされていると考えます。
電子出版は、まだゆったりとしていますが、
書店が街から消えていくのも、このコンフリクトです。
おそらく、東日本の復旧は「見えていてほしい」のです。
しかし、復興した街と町には「見えない」システムが、
必ず包囲することになるでしょう。
ただし、人間は、人類は、見えて触れることが肝要。
タンジブル性に最も信頼感があるということです。

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