「暗闇に光をというのは・・・」
8月 9th, 2011 Posted 12:00 AM
“mehr light”
「もっと、光を」、
1832年、ゲーテの最期の言葉です。
1749年生まれですから、
私が1949年、200年前に生を受けた人物。
彼の業績、特に「色彩論」はまさに光との格闘でした。
それだけにこの最期の言葉には重量感がありますが、
これは、薄れていく命が暗闇にあったからでしょうか。
私は違うと思っています。
生命の最期には確かに「闇」に投げ出されていますが、
光は遠景に絶対にありますから、
この言葉は彼を神格化する創作物語だと思っています。
“mehr light”とは他の解釈で訛り口調だったなら、
意味は「全てが虚実だ」という説もあるほどです。
この方が実は彼らしいと私は思っています。
つまり、光ある世界は虚実世界・虚像世界であり、
私たちが視覚で視ていること、
それは真実ではないのかもしれません。
生ある世界の虚実を言い残したのでしょう。
なぜなら闇・暗闇には次元があるようでわかりません。
私はここがポイントだと思っています。
ゲーテは、色彩を論じるための「光」の正体とは
壮絶な闘いをしていたと思います。
つまり光の反極にある闇を見つめていたと想像すれば、
おそらく死期の寸前にこの言葉はありえないでしょう。
闇の反極が光なのかどうかも死を迎え無い限り不明です。
まず、闇を再検討するための前提としておきます。
私が闇を視覚ではなく聴覚から確認するのはこの前提です。
「もっと、光を」、
1832年、ゲーテの最期の言葉です。
1749年生まれですから、
私が1949年、200年前に生を受けた人物。
彼の業績、特に「色彩論」はまさに光との格闘でした。
それだけにこの最期の言葉には重量感がありますが、
これは、薄れていく命が暗闇にあったからでしょうか。
私は違うと思っています。
生命の最期には確かに「闇」に投げ出されていますが、
光は遠景に絶対にありますから、
この言葉は彼を神格化する創作物語だと思っています。
“mehr light”とは他の解釈で訛り口調だったなら、
意味は「全てが虚実だ」という説もあるほどです。
この方が実は彼らしいと私は思っています。
つまり、光ある世界は虚実世界・虚像世界であり、
私たちが視覚で視ていること、
それは真実ではないのかもしれません。
生ある世界の虚実を言い残したのでしょう。
なぜなら闇・暗闇には次元があるようでわかりません。
私はここがポイントだと思っています。
ゲーテは、色彩を論じるための「光」の正体とは
壮絶な闘いをしていたと思います。
つまり光の反極にある闇を見つめていたと想像すれば、
おそらく死期の寸前にこの言葉はありえないでしょう。
闇の反極が光なのかどうかも死を迎え無い限り不明です。
まず、闇を再検討するための前提としておきます。
私が闇を視覚ではなく聴覚から確認するのはこの前提です。
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