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『資本主義からの逃走』
  「神の国・・・二つの公案を」


   


     11月 22nd, 2009  Posted 1:22 AM

「公案」という言葉には、二つの意味があります。
091122kouan

私は、この言葉の意味を、「神の国・日本」には、
見事に当てはまっている、と考えてきました。

● もともとは、中国で生まれた言葉、
その意味は、裁判物語です。
日本では公案として「大岡政談」が有名でしょう。
もし、この公案として、
日本は、東京裁判を「公案」とすることができます。
「公案としての東京裁判」は、きっぱりと
わが国の世界的な罪状として語られていることを
否定すべきは否定し、正当な再評価が必要です。

無論独裁化した当時の軍部責任問題の罪状は、
認めなければならないと思います。
しかし、一方的な報復、見せしめとして、
この裁判で戦犯とされた人物裁決には、
大きな疑問と再評価を求めなければならないのです。
その人物を戦犯とした歴史は、
今、書き直しておくべきだと私は考えます。

事例として、広田弘毅は文人であり、
なんら戦時責任を問われるべきではなかったはずです。
そして、罪状明確な戦争責任者が、
合祀されている靖国問題もここに端を発していることを
きっちりと整理すべきです。

B級戦犯となった岡田中将の軍人としての主張である、
名古屋空襲への抵抗攻撃もすでに、
忘却されようとしています。
「明日への遺言」という映画記録は公案となっていますが、
どういうわけか、
決して語りつながれようとはしていません。

したがって、
● 私は「公案」=「現成公案」にて、
禅宗的な問題解決の対象として、
東京裁判を配置するべきだと考え提案したいと思います。

なぜなら、
国際法としての戦争責任から考えれば、
母国歴史での罪状が、今なお、問い詰められていることへ
「現成公案」をもって、
罪状よりも、戦争であったからこそ、
果たしえた解放戦線があったことこそ「公案」を
世界に公認させておかなければ、
それこそ、
戦死者への真の鎮魂は不可能であることを
「現成公案」として
「無字」(無門関という禅書の応答)なりの
日本人の心情を国際化することこそ、
「神の国の復興」に他なならないと私は考えています。


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