11月 11th, 2011 Posted 10:00 AM
11月11日 先勝(庚午)
教育者としても、
次世代のデザイナーに、
デザインが、アートであり、
サイエンスであり、
テクノロジーであり、
哲学であることを
伝道できることになった
ということになる。
『デザインという先手』あとがき
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11月 10th, 2011 Posted 10:57 AM
11月10日 赤口(己巳)
デザイン手法、
プロダクトデザイン・
インダストリアルデザインでの
表現内容をアートとして、
永久収蔵されるのは
本当に心からうれしい。
デザインそのものを変容し
革新できないかと苦しんできたが、
それは報われたことになる。
『デザインという先手』あとがき
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9月 4th, 2011 Posted 10:00 AM
9月4日 友引(壬戌)
デザインもアートも、
時代とともにその表現の内容を
添わせていくものだ、
と思っている。
『デザインという先手』掌
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11月 10th, 2009 Posted 10:09 AM
現実、デザイン、そしてアートが社会化される社会は、
民主主義が構築されている日常です。
しかし、デザイナーにしても、アーティストにしても、
その「個人性」には、主義としての民主性は皆無です。
民主主義的な決定はありえないと、私は思っています。
これは、民主主義と個人性の距離=近さへの思考です。
数理的には、「近さ」というトポロジー的観念と、
私は断言することができます。
つまり、民主主義を位相空間的にとらえるという、
きわめて私流というか、私の特異性に起因しています。
私は、前述しました。
民主主義をずーっと疑ってきたことを告白しました。
「多数決」という基盤的な型論理でした。
民主主義には、もう一つの型論理があります。
「合意形成」です。
私はこの「合意形成」にも、自分は賛同できません。
それは、
デザインを「多数決」でとか、「合意形成」での、
決定論に持ち込むことなどは、不可能だからです。
むしろ、デザインもアートも、「独断的決定」です。
この「独断的決定」が、「民主主義」の日常との接点、
これがなぜ有効となっていくのかというのは、
「トポロジー」=位相空間的な思考解釈が必要です。
この意志決定論に異議申し立てをしたのが、
カタスロフィー理論であり、
「トポロジーを全否定」した人物の思考に遡及する、
ということになります。
民主主義が構築された社会の日常に、
独断的なデザイン・アートが、なぜ不可欠なのかを、
その理論を創出する時期が今世紀だとさえ思っています。
Tags: アーティスト, アート, カタスロフィー理論, デザイナー, デザイン, トポロジー, メビウスリング, 位相空間, 個人性, 合意形成, 多数決, 思考解釈, 民主主義, 特異性, 独断的決定, 社会, 資本主義からの逃走
Posted in 資本主義から逃走せよ!
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