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『資本主義からの逃走』
 「日本の哀しみは松柏後凋の心なり」


   


     9月 28th, 2009  Posted 11:59 AM

左翼=サ・ヨクが「保守」となり、
保守=ジミ・ンが「革新」を望んでいます。
わが国のこの真逆現象を
私は、「クロスカウンター現象」と名付けました。

この真逆現象は、
敗戦に縛り付けられた両陣営の
「後ろ髪をひかれたままの無念さ」に他ならないでしょう。
その無念さの質に大きな隔たりが有り過ぎるのです。
しかもすでに、
日本民族の「伝統的な美学で継承されてきた倫理性」を
失ってしまいました。

歴史を戻せば、
わが国の明治維新直前を私は検証しています。
それは、日清・日露、
そして二つの大戦へと引き込まれてしまった民族意識の変化でした。
この文脈が基盤となって、
敗戦時に大きなトラウマによって、
日本民族は二分された哀しみに他なりません。

「誰か知らん、松柏後凋の心を」
という心情が私には重なって見えています。
私は、これを書き残す作業の核心に
「デザインによる美」で、
このトラウマをデザイン思考によって解放していく覚悟です。

私の立ち位置は、日本人としての
「伝統的な保守原則の理念」を保持するデザイナーとしてです。


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『資本主義からの逃走』
 「戦後民主主義の脆弱性はクロスカウンター現象である」


   


     9月 25th, 2009  Posted 7:10 PM

「自由・平等・愛」が
どれほど人間・世界観として語られてきたことでしょうか。
しかし前述したごとく、
「自由」と「拘束」は表裏一体の関係です。
「平等」は必ず「差別」でつぶされてきました。
そして、「愛」は「暴力」によって、
その「愛」を逆強化することが起こります。
「愛」と「憎悪」が交互となる感情を呼び覚ます野性を
人間は捨てることができないということです。
「拘束し差別し憎悪による暴力」の制度こそ、「戦争」だったのです。
その最終兵器が「原子爆弾」です。

わが国だけが、その原爆被災国ですから、
「民主主義」が「原爆」を覆い尽くす論理力すら持ちえなかったことを
日本人は一番理解していなければならないのです。
イデオロギーとしての「原爆保持による抑止力」に
「民主主義」は完全に屈していることを認めなければならないでしょう。

にもかかわらず、「戦争」への徹底した反省に、
べったりと「民主主義」が最適解とされてきました。
理由無き正当性を認めてきたのです。
ならば、「民主主義」は
「拘束」・「差別」・「暴力」を消滅させる「力」を有していたのでしょうか。
この問い直しこそ、
今、人類がイデオロギーとして絶対解だった「民主主義」を
再考熟考するべき時に至っていることを証明しているのです。
幸いにと言っておきましょう。
「戦後民主主義」というわが国には、
その脆弱性が憲法・防衛・平和観に取り憑いています。
なぜそんな脆弱さをわが国は背負ってしまったのでしょうか。
私は、それを「クロスカウンター現象」と呼んでいます。

つまり、左翼といわれる本来、「革新」をめざすべき陣営は、
いつまでも自虐史観と与えられた憲法9条にこだわり、
保守であるべき陣営は、戦後民主主義に「革新」を、
というクロスカウンター的な真逆現象に陥っているからです。
左翼は、社会主義が資本主義に敗北していることを「革新」に変えようとし、
保守陣営では、自由競争を公認できうる資本主義の正当性をバックに、
「保守理念の原則」という本来の歴史的かつ伝統性の意義すら忘却していると私は判断しています。


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