8月 9th, 2011 Posted 11:29 PM
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8月 9th, 2011 Posted 9:30 AM
OPEN CAMPUS 大阪大学工学部
川崎和男先端デザイン研究室
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■ 日 時 : 2011年8月10日(水)10:00 – 17:00
■ 場 所 : 大阪大学大学院工学研究科U4棟 川崎研究室
■ 詳 細 : Facebookページより
大阪大学のオープンキャンパスの一環として、
川崎和男先端デザイン研究室を公開いたします。
普段は見られない教授室に、川崎の作品を展示、研究の紹介を行います。
スケッチワークショップや出演番組の上映あり。
来場された方にオリジナルバッジをプレゼントいたします。
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8月 9th, 2011 Posted 9:30 AM
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8月 9th, 2011 Posted 12:00 AM
“mehr light”
「もっと、光を」、
1832年、ゲーテの最期の言葉です。
1749年生まれですから、
私が1949年、200年前に生を受けた人物。
彼の業績、特に「色彩論」はまさに光との格闘でした。
それだけにこの最期の言葉には重量感がありますが、
これは、薄れていく命が暗闇にあったからでしょうか。
私は違うと思っています。
生命の最期には確かに「闇」に投げ出されていますが、
光は遠景に絶対にありますから、
この言葉は彼を神格化する創作物語だと思っています。
“mehr light”とは他の解釈で訛り口調だったなら、
意味は「全てが虚実だ」という説もあるほどです。
この方が実は彼らしいと私は思っています。
つまり、光ある世界は虚実世界・虚像世界であり、
私たちが視覚で視ていること、
それは真実ではないのかもしれません。
生ある世界の虚実を言い残したのでしょう。
なぜなら闇・暗闇には次元があるようでわかりません。
私はここがポイントだと思っています。
ゲーテは、色彩を論じるための「光」の正体とは
壮絶な闘いをしていたと思います。
つまり光の反極にある闇を見つめていたと想像すれば、
おそらく死期の寸前にこの言葉はありえないでしょう。
闇の反極が光なのかどうかも死を迎え無い限り不明です。
まず、闇を再検討するための前提としておきます。
私が闇を視覚ではなく聴覚から確認するのはこの前提です。
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8月 8th, 2011 Posted 10:00 AM
8月8日 先負(乙未)
コンピューター通信の
高度な発展の中に理想を抱いてきた。
ところが、
コンピューター通信での対話が、
殺人への大きな動機付けになるというのは、
まったく言葉を失ってしまう。
『デザインという先手』手法
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8月 8th, 2011 Posted 12:00 AM
ふるさと福井県・三国には、
お雇い外国人建築家による小学校が存在。
龍翔小学校、現在は
「みくに龍翔館」。
その息子が「だまし絵」で有名なエッシャー。
エッシャーは二次元・平面に
立体錯視となる画像を描きました。
その代表例にメビウスリングに蟻が描かれています。
メビウスリングはテープ、リボンが捻られたものです。
したがって、表が裏になり裏が表になるという図です。
しかし、この絵にはさらに凝視しなければなりません。
なぜなら、単なるメビウスリングではありません。
テープorリボンが網になっていることです。
いわばメッシュのリングでは蟻はその穴からいつでも、
自分が表から裏へ裏から表へ移動可能です。
エッシャーはメビウスリングに異論を持ち出したのです。
さて、メビウスリングはトポロジー=位相幾何学の実例。
そしてエッシャーは芸術から数学のある闇を突いたことになります。
一般的に数学は「闇」世界観になっています。
まして位相幾何学ともなれば、
幾何学をさらに超えたメタ発想が必要とされます。
その闇にエッシャーはもう一つの闇の存在を示しました。
しかし錯視によって二次元に三次元画像を求めたのは、
闇世界に光を差し出したのかもしれません。
つまり、闇と光の世界は、乾坤世界、光景空間です。
闇と光はまさにメビウスリングになっているのでしょう。
私はあらためて
トポロジカルに闇と光を入れ替えて熟考するものと考えています。
今重要なことは闇に光、
光の中に隠されている闇存在です。
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8月 7th, 2011 Posted 10:00 AM
8月7日 友引(甲午)
社会に取って、
教育に最も象徴的な
理念と手法があるということが、
その社会の文化の核心ではないかと思う。
『デザインという先手』「手法」
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8月 7th, 2011 Posted 12:00 AM
明るくなる寸前が「闇」です。
この観察原則に無知なる人。
そんな人がマスコミ世界を闊歩。
内村鑑三も
「後世への遺物」では、
当時のこうした輩の実名を挙げています。
その頃のジャーナリストは「羽織ゴロ」でした。
今も変わらないと私は思い込んでいます。
結局彼らの言説・ある意味でのジャーナリズムは
皆目歴史に残ることはありません。
ジャーナリズムとは「日々の記録」が歴史記述化する前提です。
ということは、ジャーナリズムでもなく、
単なるゴシップ・スキャンダルを「闇」の中に、
押し込んでいるだけの情報化に過ぎません。
彼らはジャーナリストであることを自己否定しています。
さらに彼らは「闇」の本質を未確認しながら、
結局、「闇に葬られた」と平気で記述します。
なぜなら決まって彼らは「闇」を暴きながら、
「闇」に捕らわれて「闇」の中に吸い込まれるのです。
「闇」を表題にしている著作の氾濫に驚きます。
これらは決して信用すべき類いではありません。
特に大震災後の報道には「闇の中」とか、
「闇」という言葉が大流行しています。
これには二つの理由が奈辺にあるのだと思います。
国難の行方が不明ゆえに、現在が「闇」なのです。
ゆえに希望も明かりも見えません。
もう一つは、ジャーナリズムとして、
真実を見いだせない能力不足ゆえに不明=闇なのです。
今、私が「闇」と思えることは、
牛肉は政府が畜産農家を支援しながら、
他の農産物の放射能被害には何ら保証をしないこと。
しかし私はこれはすでにパロールである「闇」、
すなわち隠れ続けている日本の社会制度であり、
この「闇」世界と対決した経験があるだけに、
この闇などはすでに常套語であり私には闇ではありえません。
私たちはすでに常套語である社会的「闇」を黙認しています。
この黙認は明らかに社会悪でしょう。
これが私は問題だと考えています。
「闇」は夜明け前の一瞬だと考えて対峙することです。
ジャーナリズムそのものが「闇」集団であることを、
私は指摘しておきたいと思います。
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8月 6th, 2011 Posted 10:00 AM
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8月 6th, 2011 Posted 12:00 AM
明日は明るいに間違いない。
この意識が、私たちにあります。
明日は今日よりも、
この意識が無ければ生きがいを無くします。
夜明けの前が一番暗い。
夜明け直前の「闇」はそのまま人生のメタファーです。
アナロジーでもレトリックでもありません。
そのメタファーになぞらえることを、
私はオーディオ、そのシステム構成に求めています。
なぜなら、明日が今日よりという理想主義、
その具体的実例のシステム=体系だからです。
ソースがあり、増幅器があり、スピーカーで、
ある空間を音響空間に変貌させることができます。
その時人は何をその空間に自分を身を委ねるのでしょう。
私は音響=闇空間と考えています。
確実に音響となる音楽には空間の質を変える力があります。
心臓を患って入院していた頃、
すでにロックはもう聴けない体になっていました。
どういうわけか癒されたのはクラッシックです。
それもアレグロ系でなければ心臓に負担がありました。
東芝時代に音響生理学をある人に教え込まれました。
私にはオーディオの師匠が数名います。
東芝時代に日参していたオーディオ評論家、
東芝の音響エンジニア、ユーザーであったマニア、
オーディオショップのオーナーです。
様々な音楽を聴きました。
今も私のこの趣味は尽きることなく続いています。
オーディオシステムにどれほど投資しているでしょうか。
それは明らかに「闇」空間に自分を置くためです。
何が見えてくるのだろうかということは、
実は聴こえてくることの中に潜んでいる気がします。
すでに、CDはリッピングをしてデジタル化しています。
しかし、ソースとなる音源はアナログであり、
そのプロセスがデジタル化されているだけです。
しかもシステム構成はケーブルの質だけでも、
「闇」空間をすっかり変えてしまうのです。
つまり情報社会はデジタルプロセスのシステムですが、
結局、身体を包んでいるのはアナログ系です。
私は「闇」空間はそのシステムプロセスがデジタルでも、
結局はアナログ的な反応に人は戻されていると思います。
これが実は最も大事な「闇」との対峙姿勢だと考えます。
私はあらためてデジタル化されたクラッシックでも、
必ず身体はアナログ的な反応をしていること、
このことを確かめてもらいたいと提案します。
なぜなら、「闇」に突き落とされたなら、
人は希望も夢も失います。
私たちは「闇」から生まれ「闇」の彼岸にもどっていきます。
それまでのプロセスはアナログ的な希望、
そしてその明るさが「闇」から解放させてくれるのです。
Tags: 「闇」から解放, アナログ的な反応, アナログ的な希望, アレグロ系, オーディオ, オーディオ評論家, クラッシック, デジタル化, リッピング, レトリック。アナロジー。人生のメタファー、, 闇」から生まれ「闇」の彼岸, 音響=闇空間, 音響生理学, 音響空間
Posted in 祈望から企望へ
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