kazuo kawasaki's official blog

Archive for 2月, 2011


2月16日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     2月 16th, 2011  Posted 10:14 AM

2月16日友引(壬寅)

「共用品」の
市民運動=ユニバーサルデザインでは、
決してない。
バリアフリー=ユニバーサルデザイン
でもない。

『デザインの極道論』旨趣


目次を見る

2月16日Staff Blog


   


     2月 16th, 2011  Posted 4:19 AM

2月16日

1990年代、Apple社に
コンサルティングとして関わっていた
BOSS(川崎和男, Kazuo KAWASAKI)。

Popeye Projectの
プロダクトマネージャーだった
Mr.Shune Deaneから
当時の写真をいただきました。


写っているのは、
川崎のデザインした時計「HOLA」と
Popeyeの派生プロジェクト「Brutus」です。


目次を見る

2月15日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     2月 16th, 2011  Posted 12:51 AM

2月15日先勝(辛丑)

旨趣
良識につながっている信念

『デザインの極道論』旨趣


目次を見る

「資本主義からの逃走」
   「企業理念は五つに分類可能、さらに詳細に」


   


     2月 16th, 2011  Posted 12:00 AM

五つの理念分類
企業は組織体系ゆえに方針が必要。
方針とは企業力を示した「理念」です。
しかも、企業は経営=儲けてその分配構造体。
どうやって「儲けて」、組織体系の運営と維持管理、
これらの構成・構造・体系をことばで記述することが「企業理念」と言われています。
私は40年デザイナーという立場で、様々な企業の生態と接触し関係し、観察評価をしてきました。
デザイン職能とのこうした関連事項での相互作用性は、実体験の経験値になっています。
結果、すべての企業体系の方針は五つに分類ができそうです。
詳細にまで企業理念を整理すれば、見事な曼荼羅になっていますが、この五つをあげておきます。

  ■ 理由信念 
  ■ 道理概念 
  ■ 条理入念
  ■ 理論観念
  ■ 理解通念

私がデザイナーとして、クライアントであった様々な企業理念の表現を観察してきました。
その企業形容はすべからくこの五つに集約されたディスクールだと思います。
だから、ディスクールという理念が資本主義というイデオロギーで守護されてきたことも事実です。
ところが、企業という人間組織の集合体での体系は、大きな変動をむかえてきました。
この五つが社会と時代との即応性が崩壊したとき、
その企業自身も消滅していきます。
企業が起業し、成長し、発展し、時に崩壊消滅も随分とみてきました。
やがて金剛界曼荼羅へ
まさしく、企業理念は、企業存在・企業C.I.と照合すれば、
「アイデンティフィケーション」を心理学的に整理したE.H.エリクソンの8段階説に適合しています。
さらに、私は人間界を区分した金剛界曼荼羅に重ねて
企業理念の詳細を確認することができるとも考えています。
結局は、日本文化の進展と深度はまさしく企業理念と同様な構造を持っています。


目次を見る

2月15日Staff Blog


   


     2月 15th, 2011  Posted 10:00 AM

2月15日

校正三昧の
BOSS(川崎和男, Kazuo KAWASAKI)。
みんな待ちに待っている
「夢の形見に」原稿校正です。
倉俣史朗さんの20周忌にあたる本年。
数々の作品の奇跡、軌跡を綴るBOSS。


目次を見る

「資本主義からの逃走」
   「社名・C.I.・ブランド、その認知度の意義は理念評判」


   


     2月 15th, 2011  Posted 12:00 AM

何が「企業」か。
営為組織をなぜ「企業」というのでしょうか。
「企」とは、つま先立ちしている形象。
「業」はぎざぎざやでこぼこであり、困難さや苦労を象形しています。
合わせて、苦労を超えて善の奉仕仕事という意味にまで昇華されています。
まさに人の「業」という報いを生じる基となる善悪までの意味(仏教用語)があります。
ブランドブーム、ブランドデザインブームはまったく軽薄で安易な流行でした。
ただ「儲けたい」という経営手法でしかありませんでした。
「信用される者」=儲のはずが、つま先だって、転んだ企業が増えました。
しかも、不景気脱出の手法というノウハウ本やブランドプランナーなどまで出現しました。
私は、企業はその成り立ちからのC.I.から企業ブランドが成立するという論理と経験値があります。
たとえば、企業名の成り立ちには、次のような分類が可能です。

  ● 創立者や創業地場からの名辞
  ● 企業内容や企業理念からの統語的や略語的な伝達名辞
  ● 商品名をそのまま企業名への名辞

私の名前はKAWASAKIゆえに、海外での日本製を表現する認知度があります。
私のメガネが話題になったとき、川崎重工の製品と報道されたことまであるほどです。
ある著名な創立者が、最も失敗したのは「自分の名前を企業名」にしたという話もあります。
しかし、日本では当然ながら創立者名の大企業が多く、
それが日本製であることを明示しているのは蓄積されてきたブランド価値と言ってもいいでしょう。
ただし、信用・信頼を失った場合には企業存続まで危機になります。
私の経験値では、ずばり商品名が企業名というのが「ブランド認知」は確実度を持っています。
したがって、ブランドブームを煽動する評論家はこのことを主張していますが根本は違っています。
社名を上記のように三つに分類しても、
すべての共通項は、「企業」ということばに集約されています。
理念あっての企業
それはなぜつま立ちして過去・現実・未来まで見ようとする組織だろうかということがあります。
そして、人間の営為の根本にある「業」=欲望の善悪判断です。
この二つを「理念」として整理し共有する組織こそ企業であり、
その識別が「ブランド」に他なりません。
そして、その識別は「何をその企業が社会に対して果敢」であるのだろうか、その評判です。


目次を見る

2月14日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     2月 14th, 2011  Posted 9:30 AM

2月14日赤口(庚子)

奇特なる私がいないのだ。
殊勝なる自分に
早く戻らなければならない。

『デザインの極道論』奇特


目次を見る

2月14日Staff Blog


   


     2月 14th, 2011  Posted 7:32 AM

2月14日

先週、後期の講義を終えた
BOSS(川崎和男, Kazuo KAWASAKI)。
京都の芸術系大学から
聴講している学生さんより
早めのチョコをいただきました。
頭をかなり使うBOSSにスイーツ必須です。
ありがとうございました。
2月はイベントつづきです。
修論発表会やBOSSの誕生日!など目白押し。


目次を見る

「資本主義からの逃走」
   「ロゴタイプ書体その基本ルールには伝統がある」


   


     2月 14th, 2011  Posted 12:00 AM

セリフとサンセリフその書体伝統
伝統は「裏切る」という内在的意味があります。
だから、伝統と革新がせめぎ合うことが、
本来、生きている証を立証することだと考えます。
しかし、伝統の継承やあるいは伝統の堅持を決してはずせないことがあります。
私は、「書体」という文字形式には「伝統」の核心があってこそ、
美しさが宿ってきたという判断があります。
日本語書体でいうと、いわゆる明朝体とゴジック体があります。
これは、欧文書体でいうと、セリフ体とサンセリフ体に匹敵しています。
いわゆるセリフとよばれるのは、
タイポグラフィ=文字形体の端々に髭のような飾りがある書体です。
これは石などに文字を彫り込んだときに、
塵やゴミが詰まらないための工夫だったともいわれています。
日本語の明朝体などにも、欧文文字のようにセリフがあります。
書体の伝統にある法則性
徹底的に学んだのは、セリフ体では「キャスロン」や「タイムズ」で、
サンセリフとしては「ボドニー」を手描きで直線と曲線をトレーニングしました。
その結果、ブラッシュやカリグラフィが大好きです。
これが日本の書道にも通じていると思っています。
そして「マイクログラマ」はオーディオ表示では最も視認性が確実だった書体でした。
その後「ヘルベチカ」や「ユニバース」が国際的に評価が高い書体でした。
したがって、「企業ロゴタイプ」や「商品ブランド」の新書体デザインでは、
こうした書体が持つ法則性を読み取る必要があると教えられてきました。
それは、外国人がTシャツに「漢字」をプリントしたときに、
何か「違和感」を感じるあのような感覚では決して「美しい」文字にはならないことに似ています。
ボドニー、ヘルベチカ、それぞれにはセリフ体という伝統への革新性があります。
書体法則性の遵守から革新へ
私はこの革新性に「サンセリフ書体」のルールを認めなおかつ遵守基準にしています。
そして、これが表現されていないロゴタイプには「知性」と「美」を認めることができません。
現代、PCのアプリケーソンソフトの運用によってこうした伝統が破壊されています。
そしてその伝統の破壊は決して革新的な創造になっていないことを明言しておきたいと思います。


目次を見る

2月13日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     2月 13th, 2011  Posted 9:30 AM

2月13日大安(己亥)

自分らしい興味をどこまで
掘り下げられるか、
という極限を探究することの
魅力がかなり大きい。

『デザインの極道論』奇特


目次を見る