kazuo kawasaki's official blog

Archive for 11月, 2010


『資本主義からの逃走』
   「ビジネスモデルをデザインモデルにするために」


   


     11月 22nd, 2010  Posted 12:00 AM

創る・探る=モデル
モデルには二つあります。
「創るモデル」と「探るモデル」です。
デザイン手法は、創って探る、探って創るために、
その両方を往復思量する模型・モックアップモデルで検討をします。
そして、そのモデルで確認するのは、
 ● 性能が果たせるだろうか、
 ● 効能の効き目はあるだろうか、
 ● この二つがあるから機能が生まれているだろうか、
ともかく、この三つが確約されるかどうかを検証するわけです。
性能・効能・機能の「美しさ」
最終的には、性能・効能・機能が「美しさ」でまとめられて、
その綺麗事が日常生活の暮らしで、現実的な問題解決をしているかどうかです。
それはまさに健康的な社会づくりに向かっているかという綺麗事です。
私はそれが最も重要だと思っています。
さて、ビジネスモデルは経営仮説と収益構造ですから、
効能があるかどうか、効能があるという仮説です。
そして性能として数値的な確実さが回収できる経営の確約がビジネスモデルです。
したがって、そのモデルが「美しい」とか
「社会的に義であり善である」ということは、経営手法からははずされています。
ビジネスモデルに経営哲学は無い
ビジネスモデルの経営哲学に欠落しているのは、
美しさ=美学と正しさ=倫理性だったと思います。
もし、経営哲学があったなら、納税すら無視するということはありえないのです。
しかし、現代の景気=不況を言い訳にして、
「納税義務放棄」する企業論理は犯罪ですらあるわけです。
もし、納税できない、収益構造でのprofitは自分たち企業内で独占して、
企業が社会的に存在していくための義務放棄はあってはならないのです。
不況ゆえに企業倒産するというのは、経営哲学の根本を見直すべきでしょう。
ビジネスデザインモデルの綺麗事
経営仮説と収益構造は、
本来は「美・義・善」ある存在性のある企業かどうかが基盤であったのです。
ビジネスモデルにデザインという視座と、
デザインの視界にそのモデルがあるかどうかが現代、試されているのです。
当然、ビジネスモデルで産出と算出される「商品」には、
「美しさ」と「正しさ」を、私は綺麗事として求めています。
そんな綺麗事を企業家に主張していきます。
そんな単純明快なことすら理解も行動もできない企業家に、
デザインは理解不能だということをいやというほど体験してきました。


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11月21日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 21st, 2010  Posted 9:30 AM

11月21日先勝(乙亥)

若者たちが学校という場に
分配されていく。

ただひたすら
勉学=暗記に埋没して、
マークシートを塗りつぶす
作業をこなした結果、
大学という場に配分される。

その場は、
一般社会の組織とは
まったく異次元の世界に
押し込められるのだ。

『デザインの極道論』量感


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『資本主義からの逃走』
   「ビジネスモデルの再検証にデザインを」


   


     11月 21st, 2010  Posted 12:00 AM

経営仮説+収益構造
「ビジネスモデル」、簡潔には二つの要素です。
ビジネスモデル=経営仮説+収益構造。
そして、「モデル」という言葉があるのならば、
一般的なモデルの意味には、「創るモデル」と「探るモデル」があるということです。
「創るモデル」というのは、造形的「模型」や美術表現の「対象」になります。
「探るモデル」というのは、科学的な「対象」や仮説性を含んだ理論ということです。
デザインでのモデルは「モックアップモデル」という「模型」です。
したがって、モデルに対するビジネス対象は経営仮説=収益の可能性+経済的効果となる、
投資効果の模型を、次のように考えることだと述べました。
モデルの分類

   ■ 単純化モデル=対象が複雑なときに、単純化を探ること
   ■ 構成化モデル=成り立ちや構造を想像力を駆使すること
   ■ 近似化モデル=単純化してその構成が対象との近似性の有無
   ■ 同型化モデル=物理的・数学的あるいは文学的な同等性の有無
   ■ 相似化モデル=一目で分かりやすいように巨大化or縮小化

以上が、モデル=対象を把握する手かがりとしての論理化や視覚化ということになります。
そうして、あくまでもビジネス=経営という立場で、
投資する対象に対する収益可能性の仮説化という論理と具体性がビジネスモデルという呼称です。
「倫理性」・「美学性」
ところが、この呼称ゆえに派生してくる問題がいとも簡単に忘れられる傾向があります。
特にビジネスという要因性・変動性では起こりがちであるということです。
とりわけ、ビジネスは景気循環によって、大きな変位や変動があります。
この変動性ゆえに、好景気や不景気・不況は、収益仮説などを一辺に破壊することがあります。
この破壊を遮断できる人間性、人為的な正義は「倫理性」と「美学性」です。
デザインにとって不可欠なことは「倫理性」+「美学性」だと私は考えてきました。
倫理性+美学性=美・義・善の社会的な価値、つまり「恩恵」あるいは「利得」=benefitです。
ビジネスデザインモデル
デザインが究極目指しているのは、「美しい」という綺麗事であり、
ウソ・ホントや損・得や好き・嫌いではありません。社会的な善悪判断の価値観です。
それを社会的な「効能」、すなわち恩恵=benefitに他なりません。
したがって、私はデザイナーが関与することで、
ビジネスモデルをビジネスデザインモデルにしていく必然性を主張しています。
「美しい」というだけの価値は、profitもbenefitも超越しているものと確信しています。
この確信やデザインへの信頼が、
「何がモデル=模型であり、対象なのか」をあらためて再検証する動機になるものと考えています。


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11月20日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 20th, 2010  Posted 9:30 AM

11月20日赤口(甲戌)

どんなコミュニティーにも
固有の環境や組織がある。

それらを構造化しているのは、
運営・維持という名の制度だ。
そんな制度の場は、
そろそろ解体の時期かもしれない。

『デザインの極道論』量感


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11月20日Staff Blog


   


     11月 20th, 2010  Posted 1:17 AM

11月20日

岩谷産業(株)製のアモルフォは
言わずと知れた名作。
19年にも及ロングセラー製品でした。
もちろん
BOSS(川崎和男, Kazuo KAWASAKI)
ユーザー歴すでに10年。
この後継機種が発表されました。


光栄にも、担当デザイナーより
贈っていただきました、
「アモルフォ・プレミアム」
詳細案内はこちら>>です。


これからの季節大活躍。
早速、ボス教え子のカーデザイナーと
マーケッティングディレクターと
ともにすき焼き!


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『資本主義からの逃走』
   「ビジネスモデルはビジネスデザインモデルに」


   


     11月 20th, 2010  Posted 12:00 AM

モデルは5つ
「ビジネスモデル」という言葉が流行っています。
しかし、私はこの言葉は流行語であって
意味は浮ついたままだと評価します。
実際は、このビジネス=経営+モデル=対象選定と
その理論と考えるとわかりやすいと私は思っています。
すぐ軽薄にビジネスモデルを吹聴するベンチャーには大きな落とし穴があります。
それは「モデル」ということの詳細を見つめていないと経営は必ず破綻します。
デザイナーにとってみると、モデル=模型です。
模型というのは、次の5種あると分別すれば理解しやすいことを提案しておきます。

   ■ 単純化モデル・単純化しただけのイメージ再現
   ■ 構成化モデル・構造や構成だけで印象化できる
   ■ 近似化モデル・とても似通っているイメージ
   ■ 相似化モデル・近似よりも相似型で十分
   ■ 同型化モデル・ほぼ同じ印象を持てる

以上の5つのモデルはなぜそれを対象としているかという考え方=論理が必要です。
まして、経営モデルですから、「収益性」の「裏付け=論理」です。
利益(profit)+ 利得(benefit)
現在、景気が悪くなると、「収益性」の独占化が平然となっていることです。
つまり、「収益性=利益(profit)+ 利得(benefit)」であるべきです。
そして、profitは労働対価であり、benefitは社会還元対価することです。
これが本来のビジネス=経営=社会的存在につながっているはずです。
しかし、profitだけを自分たちの収益であって、
社会還元=納税や社会貢献などbenefitなどはこの不景気にはありえない、
という考え方がまかり通っていることです。
倫理性+美学性=benefit
私はbenefitには倫理性や美学性を社会的に具現化する論理だと考えています。
したがって、profitは自分たちのビジネスモデルだから独占するけれど、
とてもbenefitなどの余裕は無いのだから社会還元はできない、
という考え方に落ち込んでいることを指摘してかなければならないでしょう。
つまり、ビジネスモデルというのはもはや壊れてしまっているということです。
そこで、私はデザイン(美学性+倫理性)をプラスさせるモデル化を
「ビジネスデザインモデル」と呼んで提案したいと考えているわけです。
そして、最も注目しておいてほしいことは、
モデルのコンセプトづくり
モデルには5つの分類があるというのは、モデルのコンセプトづくりに、
単純化・構成化・近似化・相似化・同型化を持ち込んでいくことです。
そのためには、文系的発想と理系的発想が必ず同等同値でからみついているということです。


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11月19日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 19th, 2010  Posted 10:02 AM

11月19日大安(癸酉)

大学人になってから、
環境としての大学と、
その生態系を知った。
組織としての大学は成立し得ない。

組織論では説明できないところが、
大学という組織、場という環境、
その特徴なのかもしれない。

『デザインの極道論』量感


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11月18日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 19th, 2010  Posted 12:17 AM

11月18日仏滅(壬申)

「普通」なんて実につまらない。

「日本の町を美しくするためには、
某大メーカーが倒産する必要がある」
とでもいった論理の飛躍、
これこそが今は重要なのだ。

『デザインの極道論』量感


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『資本主義からの逃走』
      「地方産業の分類が大事」


   


     11月 19th, 2010  Posted 12:00 AM

場・産業の分類
私は地方の産業を次のように分類しています。
地域産業・地場産業・伝統産業・唯一産業です。
たとえば、自動車や建設機械などは地域産業です。
その地域が部品など担当領域を分担してその集大成として製品から商品を生み出している産業です。
地場産業というのは、すでにある製品アイテムが決まっていて、
その地域で商品が生み出されている産業です。木工産地やメガネや筆などがその実例です。
こうした産業は時代的な革新とが求められています。
そして伝統産業というのは、
その地域で何か素材が決定していて時代とともに素材加工で製品アイテムが変遷していく産業です。
伝統工芸はその一つです。漆工や紙漉などがあります。
あるいは、新潟の金属加工のように昔は釘づくりだった所が、
金属製品に変わっていった産業などは時代対応してきた伝統産業であり、
地場産業と呼んでもいいかもしれません。
また、唯一産業というのは、決定的にあるモノづくり企業が唯一残っていて、
世界でも、そこでしか製造・生産されていないという産業です。
楽器などは唯一産業でありその楽器づくりが他のモノづくりに拡張していったような所もあります。
分類による問題指摘
私は、なぜこうした分類が必要かというと、
地域産業はすべてが時代的な「革新性」を常に求められているからです。
こうした「モノづくり」地域・地場などと対照的な「場」です。
地方のいわゆる街・商店街「モノ売り」産業です。
商店街はすでにシャッター通りや、かっては駅前商店街と言われていた所が
決定的に見失っていることを比較する必要があると考えているからです。
たとえば、城下町や門前町、温泉町などの低迷は地方に拡大しています。
こうした「場の産業」活性化に、分類をして問題点を明確にする必要があります。
デザイン手法は、その場の産業問題解決をする大きな手段だと思っています。
こうした「場=街=地域、そして地方」に、
欠落しているのは「企業化」経営意識がまず必要だからです。
「企業化」とは、「人・モノ・金」の時代では無いことに気づくべきでしょう。
地方の産業、その分類からそれぞれの問題を捉え直すことが必要です。


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『資本主義からの逃走』
      「メガネフレーム、地場産業の基本姿勢」


   


     11月 18th, 2010  Posted 1:30 AM

メガネメーカーとデザイン契約
私はメガネフレームのデザインをしています。
すでに、今年は25 周年になります。
といっても、本当は27,8年になるはずです。
私がフリーランスになっているとき、
大学の恩師の紹介で、あるメガネメーカーとデザイン契約をすることになりました。
しかし、私はまったくわからない分野のデザインに取り組むために、
そのメーカーとの契約は待ってもらいました。
ところが体調がすぐれずに、担当医からふるさと帰郷を諭されました。ふるさと福井に帰りました。
すっかり、そのメーカーとのことは忘れていました。
が、そのメーカーは帰郷している私を訪ねていただき、デザイン契約をすることになりました。
しかし、私にはメガネそのものがわからずに、どうしたものかと悩んでいました。
幸いなことに、そのメーカーで私との契約担当だった部長が、
メガネの専門学校の教科書を貸してくれました。
日本にはメガネに関するオプトメトリスト養成制度は大学ではなくて専門学校にあります。
その教科書を読んでもさっぱりわからないまま、
ともかく「企画書」を書くことになってしまいました。
私が最初に書いた企画書は、「アイバンク加入企業」という企画書でした。
クライアント先のメーカーはとても驚き、
担当部長はすぐに金沢美大の恩師にその企画書を見せに行ってくれたそうです。
その恩師は、「川崎なら、ここから仕事をスタートするだろう」と言ってもらえたので安心でした。
アイバンク加入という提案
そこで、そのメーカーの取締役会で、「企画趣旨」をプレゼンしなくてはならなくなり、
かなりな熱弁をふるったものでした。
部長が伝えてくれました。
「デザインを頼んでいるのに、アイバンクとは何事か」と、ほとんどの取締役が怒っているけれど、
社長は認めていて一度話し合いたいということでした。
結局、そのメーカーは「盲導犬訓練への寄付」ということで、私の企画はそれなりに決着しました。
福井県鯖江市、人口6万5千人の街は「メガネフレーム産業」で生きている街です。
私は「目」を対象としている街の社会的な責務は、
「目の不自由な人」や「アイバンク」や「盲導犬」などへのまなざしが、
本来は地場産業の基本であり、そうした製造業企業姿勢にあるべきだということを主張したのです。
そうした社会的責務を基本にしてデザインというのが私としては基本姿勢になってしまいます。
それから、そのメーカーから現在の増永眼鏡は、「私のブランド育成」を支えてくれたのです。
デザインと企業責務姿勢
「アイバンク」運動、これも様々な問題に気づいていますが、
NPOをつくるまでに15年かかりました。SD-waveというNPO団体につながっています。
私のデザイン活動25周年のキャンペーンでは、
私が提唱しているPeace-Keeping Designも同時に展開してもらいました。
そして、メガネは現在、新たな時代に入ろうとしています。


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