kazuo kawasaki's official blog

Archive for 4月, 2009


4月11日川崎和男のデザイン金言 Kazuo's APHORISM as Design


   


     4月 11th, 2009  Posted 12:00 AM

4月11日 赤口(丙戌)

消費の形態を変更できうるデザインは、
元気を生み出すデザインである。

Design capable of changing the existing patterns
of consumer spending yields good spirits.

『artificial heart:川崎和男展』 元気としてのデザイン


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4月10日川崎和男のデザイン金言 Kazuo's APHORISM as Design


   


     4月 10th, 2009  Posted 12:00 AM

4月10日 大安(乙酉)

イデオロギーの死に至る病を
対症療法的な手法で慰労したところで
何の解決にもならないことを自覚することが最も重大である。

We should understand that
it is the most important to realize these is no solution to
try to treat a mortal disease of ideology by kind of symptom-treatment.

『artificial heart:川崎和男展』 顕正としてのデザイン


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4月9日川崎和男のデザイン金言 Kazuo's APHORISM as Design


   


     4月 9th, 2009  Posted 12:00 AM

4月9日 仏滅(甲申)

試論は歴史に対する一つの闘争原理であり、
情報化時代にモノで記述するデザインのひとつのジャーナリズムでもある。

The theory of life journal is
a form of fighting principle against history and also a form of journalism
of the design of “writing” things is this information age.

『artificial heart:川崎和男展』 誌論としてのデザイン


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4月8日川崎和男のデザイン金言 Kazuo's APHORISM as Design


   


     4月 8th, 2009  Posted 12:00 AM

4月8日 先負(癸未)

「かたち」は歴史の中で
現前と消滅を繰り返すことで、生活の期待と希望を育んできた。

“Forms,” by repeating elicitation and elimination in history,
have nurtured expectations and hope for life.

『artificial heart:川崎和男展』 誌論としてのデザイン


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4月7日川崎和男のデザイン金言 Kazuo's APHORISM as Design


   


     4月 7th, 2009  Posted 12:00 AM

4月7日 友引(壬午)

「ディバイネーションとしてのデザイン」という
新たなフレームワークづくりが必要だと考える。
分割から統合という造形の手法造語として提案する。

“Design as Divination”.
This is also the technical coinage to make form,
as a unification from division.

『artificial heart:川崎和男展』 分割としてのデザイン


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4月6日川崎和男のデザイン金言 Kazuo's APHORISM as Design


   


     4月 6th, 2009  Posted 12:00 AM

4月6日 先勝(辛巳)

『純粋理性批判』で主張された
「観念に支えらない概念は、空虚な理性」ということばの重力を、
今こそデザイナーは受け止めなければならないだろう。

“Now every designers should actually feel
the weight of words contended in the Critique of Pure Reason;
“Conceptualization without support of any idea is empty reason.”

『artificial heart:川崎和男展』 観念としてのデザイン


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4月3日川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     4月 3rd, 2009  Posted 9:00 AM

4月3日 仏滅(戊寅)

デザインが創出すべきは、形、その機「能」を人間の可能性に対照し、
形、その「心」を誠意として、時代に提示する態度にほかならない。

What design must create is nothing but an attitude shown to the age
by contrasting the functions of the form to the possibilities of the
human being and having the “mind” of the forms in good faith.

『artificial heart:川崎和男展』 誌論としてのデザイン


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『資本主義から逃走せよ!』
金融工学の始祖はマルクスだった_12


   


     4月 3rd, 2009  Posted 12:00 AM

10thmandala003

「使用」は、「用途」の場合が上図でわかります。
『対象化された用途」、その形式と内容によって、
モノの価値感が分類されていることが一目瞭然です。
「使用」することの形式とは、『用途」の方法と考えます。
その「用途」の実際的な内容が付随しているということです。

使用が、まず、モノが採用されることから始まり、
「急用」として使われるのか、あるいは、「専用」となるためなのかは、
使用の内容である用途が、形式を決定する価値感になっていることです。

マルクスの「価値」分類は、
基本的にはゆるぎない二極性だったことは、
次に、そのモノが、あるいはモノは、「所有」されることによって、
形式がもう一つの内容の軸で分類されることに特色が生まれます。
使用するために「持っている」ということの、「内容」であり「形式」です。

「所有」は、「収集」するという欲望とか、
またはもう「蓄財」しておくだけとかいうだけです。

保有や保持、
それが「所有する何かを明示することに」まで及ぶことになります。
「所有」できるということが意味することと、
「所有」ということが意味されることがあるということです。
これは明らかに、マルクス以後に、「記号論」としての解釈につながっています。
単純にいえば、「保持」できるということは、
その人の購買能力を表していることです。
そして、この能力は社会的な存在や立場です。
その人の階級を顕示することを意していることになります。

別の言い方をすれば、「所有」という価値性が、
その人の社会的な階級を意味しているということです。
ここに、「使用と所有」という二つの価値観が、
さらに分別されて、意味性をMANDALA的に明示しているのです。

10thmandala004

明示された意味性を知るためには、
歴史という時間の経緯や手続きがありました。
この経緯や手続きこそ、
歴史を支えていた支柱あるいは基盤であったことは、歴史の重力感にすぎません。

だから私は、マルクスの思考が、
どれほど「科学的社会主義、あるいは科学的共産主義」だと言われても、
歴史の重力感でしかないから、なんら感動することはありませんでした。

高校から大学、特に大学では70年の学園闘争時代を共時していたにも関わらず、
こうした闘争こそ歴史を突き動かすと妄信している連中を、
私はむしろ冷徹に見下していました。

なぜならば、マルクスは、「価値の意味性」に言及していたというわけではありません。
むしろ、「使用」と「所有」が、人間の社会的な存在性=階級性に、
もっとも焦点をあてていた論理だったにすぎないからです。
論理であるから論理構造の明確さは認めておきますが、

「意味すること」と「意味されること」を知るようになって、
ようやく、論理・思考・思想の差異性を知っていく自分、
その自分がが確信できるコトは何なのかを自分自身に突きつけていた気がします。
この差異性、あるいは距離感覚で掴んだのは、
階級的存在となる人間の差別という問題の方に自分の興味は大きかったと思います。

階級性は、ある種の差別を生み出していて、
この差別を促進される構造が、
「資本主義」という論理というよりは、思考だったのだと私は思ってきました。
それが、「思想」なのだろうか?、ということをずーっと考えてきた気がします。


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4月2日川崎和男のデザイン金言 Kazuo's APHORISM as Design


   


     4月 2nd, 2009  Posted 12:00 AM

4月2日 先負(丁丑)

多様性こそ、「かたち」に反映すべきデザインの歴史に対する役割であり、
歴史との闘争の武器になるはずだ。

This very diversity is the role of design towards history,
that should be reflected in the “form” and should be a weapon for fighting against history.

『artificial heart:川崎和男展』 誌論としてのデザイン


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4月1日川崎和男のデザイン金言 Kazuo's APHORISM as Design


   


     4月 1st, 2009  Posted 12:00 AM

4月1日 友引(丙子)

「かたち」の創出を理想に掲げるデザインが、
歴史に飛び込まなければならないのは、この操作と闘争のためである。

A design that claims the creation of “forms”
as its ideal has to jump into history to fight against this control.

『artificial heart:川崎和男展』 誌論としてのデザイン


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