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『切手・消費税アップの影響』


   


     4月 9th, 2014  Posted 12:00 AM

少年が「収集癖」がつくのは、おおよそ切手収集からでしょう。
私自身、モノの収集が「切手」からでした。
多分、実家にはあるのかもしれませんが、?です。
確かに切手から、私は、古銭、牛乳の蓋、マッチ、割り箸の袋、と
思い出します。
多分、私は一人っ子だったことで、「収集癖」がありました。
夏休み、小学校時代は、昆虫採集も収集癖があったから、
トンボ、蝉、クワガタから、中学時代は、蛾も随分集めました。
さすがに、この昆虫採集は、母を怖がらせていました。
それが面白いのと、学校では常に最も集めた人間をめざしました。
「収集癖」は全く直らず、デザイナーでモノ集めしない人は、
信じられませんから、デザインの内容が低レベルです。
収集では、祖父の影響では、毛針や、キセル集めや、
父の影響では、押し花や、筆、墨があります。
いまなお、筆と墨は、硯や落款材にまでなっています。
ワイフが、電球の球を集めていたのはビックリしました。
彼女の収集物は、高価になっていくので不思議です。
こんな思いになったのは、二円切手の登場でした。
これは消費税アップで用意されていたもので、ウサギ絵柄=二円?
ところが、この意匠はなかなかのモノで二円以上の価値です。
切手は時々、ワイフが記念切手を買ってきて、
手紙を書いたら選ぶ楽しみがありますし、とても綺麗です。
もしこの秋に消費税が10%になったら、また種類が出るでしょう。
そして、今では、切手は自分のものを発注することが可能です。
私も、自分の作品で切手を作っていますが、消費税込みの、
そんな切手も考え出す必要があると思っています。
つくづく、切手って、やっぱり収集価値があるようです。
収集すること、それは持っていないことを、
再確認することに連動しています。
だから、収集はとてもいい経験だと私は信じています。


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『ロボットデザインには基礎学が必要』


   


     4月 8th, 2014  Posted 12:00 AM

コンピュータ技術の進化が顕著に表れたのはロボットでした。
あるいは、ロボットの進化がコンピュータの応用領域を拡大、
こうした見方も可能です。
私の世代にとってのロボットは「鉄人28号」でした。
しかし、ロボット学者の多くは「鉄腕アトム」が具体的でした。
「鉄腕アトム」を創りたいという学者たちの活動を知っています。
私にとっては、デザイン対象にロボットがあります。
日本のロボットは「メカノイド系」=機械のようなモノと、
「ヒィーマノイド系」=人体のようなモノに二分されます。
私はこの区分には、ロボットという名前の問題があると思って、
「ノーメンクレター」と名辞したことがあります。
これは欧州中世時に、領主が召し使いの職能名にした名前です。
領主が、「あの人は誰?」とか、「これはどういう意味?」、
こうした質問に正確な情報を与える存在を呼んでいました。
だから、私は「ノーメンクレター」=情報伝達者こそ、
これからのロボットでなければということをデザインモデル化を
「舞」と「踊」で創ってきました。
そのためには、ロボットの歴史的な代表玩具、
その意匠をライターシリーズにしたモノまで収集しました。
収集することは、集めていないモノを知ることに繋がります。
収集出来ないモノには何があったのかを知ることで、
私は、ロボットデザインという領域には、
基礎学となるポイントがあるということで、もう15年程、
「ロボットデザイン基礎学」を体系化したいと考えてきました。
当然、「舞」と「踊」は、ロボット動きを決定しています。
それは「形態論」と「身体論」に結びついてきました。
この体系化に、ロボットの「安心」と「安全」があります。
ようやく、
この「ロボットデザイン基礎学」を主張できるようです。

「ロボットが『心』を持っている?かどうか、ということ」
「心を持つロボット表現として、『泣き出す表情』


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『有名ブランドさえ、デザインへの大誤解!』


   


     4月 7th, 2014  Posted 12:00 AM

これはある超有名ブランドからのDMです。
この貴金属ブランドはとても有名であり私も商品を持っています。
しかし、ここ数年、新製品は高額なだけに、ブランド全体、
私は失敗が連続していると見てきましたから、
私が所有しているモノの価値づくりはありません。
それは他の著名ブランドのある種の成果に至っていないからです。
ここでいうデザインは私流にはデコレーションに過ぎません。
もしデザインというなら、企業イメージと経営全体づくり、
特に、未来を提示する力量設計という問題解決です。
このDMも印刷など相当に念入りですが、なるほどでもなければ、
私流には、ブランドのデザイン勘違いを拡大しているようであり、
新製品デザインはすべて失敗作を情報化しているのです。
最近、私はデザインコンペのあり方、審査員の知識不足を批判。
結局、デザイン=デコレーションそのままは、
まずはなんと言っても未来を創らないでしょうから全滅します。
そのようなデザインは大間違いです。
企業だけでなく地方のデザイン認識もほとんど間違っています。
またまた失敗を目指したデザインを本当に多くを散見します。
デザインはなんといっても問題解決であり、未来創発です。
デコレーションでの華美さを多様化するイベントではありません。
したがって、なんといっても歴史から再考することは基本です。
そして情報社会では、モノづくりにデザイン=デコレーションでは
まったく無駄であり、それこそ駄作でしょう。
しかし、自らデザイナーが駄作を創っては自己否定をしています。
デザイン導入は「活性化」の手がかりでもありますが、
このDMに象徴さえている有名ブランドの無知さと知恵無しは、
デザインの取り違え・大誤解を私は連呼するつもりです。
なぜなら、自分のデザイン活動への「大きな戒め」だからです。

『装飾はデザインにあらず、されど装飾はデザイン可能』
『これはデザインの大きな問題である!』
『「アート&クラフト運動」はデザイン原点でもあるが・・・』


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『有朋自遠方来不亦楽』


   


     4月 6th, 2014  Posted 12:00 AM

山梨・京都、そして大阪に。
友、遠方より、超楽しく!
「有朋自遠方来不亦楽」この漢詩、吉田首相の現物が浮かびます。
この現物があるところは存分に知っていますから、
学生時代だったら、拝借して部屋に置くかもしれません。
さて、舞踏は死んだ、という田中泯氏、石原淋女史二人が、
京都での仕事後に自宅に見えました。
来訪を連絡ありから存分に期待していました。
最後に自動シャッターで写真を、と。
しかし、二人は背後に佇み過ぎで、幾たびか撮り直しました。
どうしても私はデザイン界や学界の人たちと話が偏重し過ぎます。
二人の来訪では、舞踏界もデザイン界もで共通項話が多くて、
結論、田中氏も私も、長生きをすることにしました。
なんといっても、出逢いは「松岡正剛氏の編集力の具体化」です。
今年の24日に、松岡正剛氏の誕生日会で出逢ってから、
手紙やメールそして等々の付き合いから来訪をしてもらいました。
様々な話題では、
お互いの「主観性、客観性、作品、芸術の取り違え」余りに多く、
結局、この出逢いには松岡正剛氏編集術に囚われている快感有り。
著作にサインをもらったり、
私のメガネフレームを強制的にかけてもらうと決めました。
だから、私が気に入っている人物には、これからは、
絶対にモデルになってもらおうと思ってしまった次第です。
世間話の核心には、松岡氏との対話でも同じ結論が生まれます。
この結論にこそ真実があることは間違いありません。
それは「存在」そのものの確認と認識が明確に残ることです。
人は生きて。いるから、命の前に、「存在」の共有観の有無、
それを確かめられる直感ある人物はやっぱり限られています。
だからこそ、二人の来訪は、不亦楽、です。

『この男に惹かれる・舞踊と舞踏がテーマになってきた』
『男に嫉妬あり、田中泯と松岡正剛の間に割り込む』
『人生70暴走古来稀・松岡正剛氏』
『「知とちの急行」松岡正剛氏と大阪で対談講演』


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『捕鯨は日本文化である・絶対的な文化保護を!』


   


     4月 5th, 2014  Posted 12:00 AM

日本は「敗戦」によって、日本人のアイデンティティを、
なぜ国際関係論や人権維持に大間違いをしたのでしょうか?
「敗戦」で文化を投げ出すことはありません。
とりわけ、捕鯨することに日本人らしさをなぜここまで、
私たちはこの文化の素晴らしさを断言していかないのでしょうか?
先般日本の「調査捕鯨」すら、国際的な禁止を言い渡されました。
私には、日本の捕鯨こそ、食文化もさることながら、
捕獲した動物を、その全てにわたって有効利用している文化を
投げ出す必要はありません。
日本は積極果敢に鯨の生息を「調査」している国です。
その調査すら食文化と同一視されているのは生真面目過ぎます。
結論は、商業捕鯨をあの団体を脱退して取り組むべきです。
鯨肉は美味しいですがこのことだけを訴訟されることは皆無です。
日本の捕鯨は、鯨油だけしか獲らなかった国々とは違うのです。
たとえば、鯨皮革、鯨髭などを超えるバネ素材はありません。
鯨髭でのゼンマイ機構が「からくり人形」、ひいては
ロボットの根本にもなっているのです。
確実に鯨は増加しています。それも日本の調査結果です。
絶滅種は、この写真にある哺乳科のヨウスコウカワイルカだけ?
したがって、批判しているオーストラリアのように、
私たちはカンガルーは食べないのです。
決定すればいいのです。
国際捕鯨委員会IWCを脱退するべきです。
そうして、日本海沿海での日本流の捕鯨は護り抜くべきです。
鯨やイルカは知能動物とされていますから、殺さない食べない、
だとするなら、低能動物は殺して食べるのはOKなのでしょうか?
商業捕鯨をしたところで、日本の捕鯨文化の正当性こそ、
本来の「生きるために食べるが、それ以上を創る技=文化」を
私たちは明快に国際化するべきです。


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『Segwayの指導は忘れた人馬一体感を思い出す修練』


   


     4月 4th, 2014  Posted 12:00 AM

私の教え子=スタッフたち(カーデザイナーも)乗りました。
まさに、Segwayは体幹の歩行状態をそのまま反映しています。
それは乗馬して馬とのコミュニケーションそのままです。
下半身の歩行感覚が活かされている乗物は在りませんでした。
日本のカーメーカーやバイクメーカーは、
このシステムを勘違いしているようです。
それがそのまま道交法にも見合っていないために、
まだこの乗物が市民権を得ることは困難なようです。しかし、
「Segway Smile」という言葉が生まれたように、
馬力と身体関係、道路は車道・歩道よりも馬道の発想が必要です。
自動車の構造がどれほど身体との関係を破壊したでしょうか。
少なくてもワイフは最初のSegway乗車経験がありましたが、
スタッフたちの個性がそのまま反映していて笑いました。
自分の体幹感覚をインストラクターに導いてもらうこと、
それはそのまま、指導を素直に受ける、聞く耳を持っているかなど
とても個性に見合っていて面白い限りでした。
自分の身体と指導の受け入れ方などは反省を余儀なくされてました。
そして、最も重要だったことは自動車ではなく、
人馬一体が人間には最適な乗物であるという確認が取れたことです。
自動車と石油資本での車社会こそ都市の体幹感覚であり、
「楽しい移動」は人体が受け入れられる速度性があることでした。
Segwayはまだまだ都市社会・田園社会とのあり方制度変更が
なんといっても望まれますが、そのためにデザインが可能なコトも
とても明快になってきたと私は断言できます。
私にとって、これまでそれなりの車を所有し使用してきました。
すべて障害者運転装置に改造してきた経験も大きいのです。
もっと大事なコトは、「歩けなくなった私の移動ツール」です。
私は胸椎脊損をしていますから「腰・体幹」でのコントロール、
この新たな発想をSegwayに仕掛けるデザインが必要です。
スイスやオランダで実現されているSegway車椅子を
私の車椅子を超えているモノが無いだけに、
早く開発をしたいと思っています。
それは車椅子というモノを超えた新たな街づくり、路づくりという
コトのデザイン=制度デザインです。
Segwayを参考にした新たな乗物が移動空間の制度を創るはずです。

「石畳の街、その文明と文化」
「新幹線ホームのエレベーターは再デザイン必要」


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『Segway=人馬一体感こそ未来の乗物』


   


     4月 3rd, 2014  Posted 12:00 AM

Segwayが日本にやってきた最初にワイフは試乗しました。
私は、車椅子のためにまだ乗ったことがありませんが、
電動車椅子を使用し始めて、Segwayの進化を追いかけてきました。
海外の車椅子、特に、Segwayを車椅子にしたモノが最高と判断。
そこで、本格的にまず「自分用」を開発しようと、
Segwayjapan社と連絡し合って、いよいよ試乗のトレーニング、
そして、わが国のSegway普及についてA氏と議論をしました。
彼自身がIT企業出身なので、パソコンそしてロボティクスとしての
将来象を質問し、確認することができました。
私は産業革命とともに自動車産業が20世紀を形成してきましたが、
石油資本との経済関係での世界支配は、米国本土ですら、
この革新的な乗物を大誤解させていると見てきました。
わが国ではさらに日本に登場以来もっと大誤解があったようです。
今、Segwayは欧州で、特にこの車椅子使用は優れています。
ジョブスが「Flying Carpet」としてApple製品化を狙ったことや、
この進化技術は、とりわけ国内の車メーカーは気づいていません。
話は変わりますが、
わが祖父は福井県で最初に自転車に乗ったことを自慢していました。
私はsegwayに未来の乗物のあり方を見つけることができます。
これこそ体幹とモノ=人馬一体をコンピュータが可能にしました。
私には、日本独自にこの考え方をさらに進化させる発想を
是非ともデザイナーとして可能にしたいと考えています。
なんと言っても、Segwayに乗る、その指導を受けることには、
「指導される、人の意見を素直に受ける」ということが大事です。
まさに、A氏は、まだ「マウスのようなモノ」と断言しましたが、
私は彼の未来づくり発想を知り、私の全体計画を伝えました。
正直、つまらないプロダクトが増えています。
駄作などを創ってはならない職能観すら喪っているデザイナーを、
私は自分の真正直で美しいデザイン活動を語って、
批評非難し、大論破していくつもりです。
なぜなら、もう私の活動時間は死に向かっているからです。

『そろそろ電動車椅子デザインの時期=一人称デザイン』
『これは最適ではない・誤った車椅子対応車輌デザイン』
「デザインは皆無だ!・・・誤りのデザイン」


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『「瞬間から瞬感」の連鎖と停止を製品開発に向ける』


   


     4月 2nd, 2014  Posted 12:00 AM

「瞬間」を最初に考えついた人物はプラトンであるらしいのです。
確かに、飛んでいる矢の一瞬一瞬を停止していると見なして、
それが、力学、微分と積分の考え方を生みました。
微分積分は動きの停止点の最小を無限に追いかけています。
無限そのものの感覚へ自分を近づける唯一の方法なのでしょう。
つまり、この考え方は、生死と動止という矛盾を包括しています。
生まれることは死んでいくこと。
動いていることは止まっていること。
このことこそ、実はアポリアの本質だと思ってきました。
そこで、この「瞬間」を製品に、やがて商品に、と考えています。
それが私のデザインするどの商品分野になっていくかは、
多分、モノを見つめる瞬間であり、瞬きそのものの感覚です。
私は、見つめるという行為は、確かにジーッと見入る感覚ですが、
本当は、いや真実は「瞬き」の一瞬に視覚に飛び込んできたこと。
「瞬き」に、最終のコミュニケーションがあります。
もし、しゃべれなくなったら、
声を使う事が出来なくなったら、
おそらく、私は瞬くことだけが人間には残っているはずです。
だから、死んでいくために生きているのに、
動いているというのは停止していることが連続しているのに、
こうした矛盾を一瞬にして瞬きの瞬間にしか確認できないのです。
結局、私の人生、いや人間の人生そのものが「瞬間」でした。
生きていくことが死んでいくのにという矛盾だらけゆえにこそ、
瞬間をどれだけ確認できるかがアポリアの無限さを知るのです。
しかも、瞬間は瞬く一瞬ゆえに認識さえ不可能なのでしょう。
私は、この人生の「瞬間」を「瞬感」として受け止めます。
この受け止めた「瞬感」のシンボルを創りたいと思っています。

「アーティスト、デザイナーにだけ降りてくること」
「生きることの模範・範疇・範囲として」


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『消費税が支えられることこそ政(まつりごと)の要』


   


     4月 1st, 2014  Posted 12:00 AM

4月1日より、消費税がアップします。
100円のモノが108円になります。
連日、消費税アップ前に何を買うべきか、との報道が多く、
私にとっては、「作品集」を延期したために影響があるようです。
消費税のことよりも大事なことと言うと叱られそうですが、
私は、一円玉は一つのスケールだと考えてきました。
一円ほど見事に材質がアルミニュウムで、
重さは1g、直径20mm、厚さは1.5mmと、とても明快な寸法ですから、
デザインツールとして、とても有効な定規になるモノです。
比して、五円玉がスケールツールとしては私は二つあります。
重さが一匁ですが、これは伝統工芸的な重量把握に便利です。
あとは、穴が開いています。この直径が5mmですから、
一円玉と五円玉があれば、小さなモノの設計にはとても便利です。
五円玉は一円玉よりやや大きいのです。それを組み合わせれば、
また、大きさの検討が出来ます。
私には、一円と五円はその貨幣の大きさ最も気になっています。
最大の理由は、私が交通被災で入院中に、500円玉が出て、
物珍しさは今も全く変わっていません。
さて、消費税については、税金ですからその使い道が政です。
政はこの税金の使われ方に要のことがあるはずです。
正直、税金の集め方と使い方には民主主義は成立していません。
民主主義なら、多数決の原則で集金と分配方法は一考を要します。
使われ方が明白にはなっていないことが気がかりです。
確かに今回の消費税アップでは、日本の税務体制改善は無理です。
少子化対策と年金対策ゆえに社会福祉政策という理由程度では、
私は正直賛同できるものではありません。
どうせなら、教育費無料、年金集金システムの改善には、
消費税はもっともっと熟考されなければならないでしょう。
と同時に、私は一円玉と五円玉のスケール性を主張しておきます。

「丸ポスト・街角のアイコンから貯金アイコン?」
「貨幣価値の再確認は、ちょっとうれしい」
金融工学の始祖はマルクスだった_15 


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『比例コンパスは知恵のツールだ!』


   


     3月 31st, 2014  Posted 12:00 AM

人類は昔より全く変わらないことがあるものだとよく思います。
たとえば計量の単位である、長さとか大きさを一定測のことです。
「度量衡」と呼ばれているこの一定測は基本が決定しています。
この一定測は、税金をどう取り立てるかという法律です。
長さをどうやって決めるか、ということについては、
「もの差しの長さ」の決め方が、最初は笛の音に気づいたこと。
つまり笛の音を決めれば、同じ音を決めるには長さが決まります。
これが今ではレーザー光線=波長で全世界が決められることです。
さらに、もの差しでその割合を決めるツールが生まれてきます。
幸いに私はデザイナーという職能ゆえ、
定規には興味がつきず、これもできる限り収集したいのです。
定規には民族性があり、規はコンパスを表し、
これらの収集物についてはやがて私なりに本を書きたいほどです。
今回、「比例コンパス」・「曲尺」・「黄金比コンパス」は、
とても便利で、「曲尺」などは、日本が生み出した優れモノです。
私はどうしてこうしたもの差しをさらに進化させてツールを
絶対に教育でも教えておくべきだと思います。
「曲尺」には長さ・角度・比例すべてが満載されています。
だから私は持ち歩いている一つです。
「比例コンパス」はすでに販売されていないと思いますが、
今ではCADなどPC上ではすぐに分割など簡便だからでしょう。
しかし、私はこの西洋の知恵は素晴らしいと思っています。
現在、大学の図学ですらこのコンパスを教えていません。
大多数の大卒の技術者にとってこのコンパスの存在すら無知です。
私は何度か「黄金コンパス」についても紹介してきましたが、
「黄金比って何なんだ?」と大学内で聞かれたことすらあります。
それはもう仕方の無いことでしょうか?
いや、私は、こうしたもの差しは「人類の知恵」ですから、
さらに知恵の進化されたツールを私自身創りたいと思っています。

4月18日 staffblog
「黄金コンパス・黄金比と白銀比を身体化するには」
「X:1-X・この計算では、1.61803398749・・・が示すこと」


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