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『資本主義からの逃走』
 「決意は、伝統回帰と脱回帰の『失』均衡」


   


     10月 2nd, 2009  Posted 9:41 PM


風神雷神図 (俵屋宗達)

「失」のごときを与えた戦勝者たちへ、
反撃を開始すべきでしょう。
私は、「自虐史観」は廃棄すべきだと思います。
第2章憲法9条からでは無くて、
第3章すべてからをまず論議する
というインテリジェンスを育成すべきでしょう。
日本の美学としての
「失」は「無」へ回帰し、
脱回帰は、「脱構築」以上の思考理念が
すでに醸成されていたということです。
 
 ●不自由であることに
  日本は美学を配置するたおやかさを
  伝統意識にしています。
 ●人は平等でなどありえないわけです。
 ●人は差別に無頓着です。
 ●わが国には、愛よりも慈愛があります。
 ●慈愛と慈悲が
  思いやりのバランスを創ります。
 ●わが国の暴力性は、
  完全に封鎖されてきました。
  それが、「武士道」だったのです。

だから、もう、
「破・民主主義」と「離・資本主義」を
私たちは創出する時期に
佇んでいると考えましょう。

風神雷神図 (尾形光琳)


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『資本主義からの逃走』
 「雷神の手からスルリと・・・『失』という意志」


   


     10月 2nd, 2009  Posted 10:07 AM

「失」とは、電光石火です。
私の「失」の概念は、
雷鳴あるいは稲妻のようなまっすぐに、
直進して迫ってくる光あるいは雷電がイメージです。
雷神のごとき自然界の不可思議な意志です。
それは、自然界から人間に指示された意志と言っていいでしょう。
まさに、「手から抜け落ちて、判断をせまってくる力」の印象です。
「失」は落ちてくるのです。

今、私たちは、
「失」ならば、
「失敗・失念・失礼・過失・損失・滅失・・・・など」を
想い浮かべるでしょう。
しかし、「失」の原意は、
自然界の意志が電光石火で、
私たちにあたえられた試練だったのです。

福沢諭吉は、
「脱亜入欧」をなぜ、明治維新を通して日本人に勧めたのでしょうか。
「文明開化」と「西洋化」に、彼は説き続けました。
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「人は人の上に人をつくらず・・・」と。

これは、米国の「独立宣言」、
トマス・ジェファーソンからの引用でしたが、
そのことまでは歴史的に言及されてこなかったのです。
01_jefferson

「安政の大獄」で斬首されたり、
獄死した志士を黙して見送った
自己への憤懣と自虐性を
おそらく死すまで抱いていたものと思います。

よって、
彼は、体制には決して与することは出来なかったのでしょう。
これは、徴兵されて戦地から
生還した人々が抱いた信念と同質のものなのです。
「戦後民主主義」の自虐性と憤懣は、
連続して振り落とされてきた、
「失」のごとき、
戦勝者たちがまるで雷神の振る舞いを演じました。
すなわち、その程度の「歴史」感覚だと私は思っています。


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『資本主義からの逃走』
 「失」という神判を与えられし基軸へ


   


     10月 1st, 2009  Posted 9:45 AM

歴史は、
常に「戦勝者」によって
陳述されてきたエクリチュールに過ぎない、
と私は思っています。

まさしく生き残るのは、
「戦勝者」かも知れませんが、
歴史に冷徹なまなざしを投げかけられる人間こそ、
知的生涯を遂げれる「失」なる品性と品格だと思っています。

なぜなら、
この品性にのみ神判を受け入れることができます。
そして、
この品格にこそ、
歴史を読み解く才能が与えられます。
だから、
「失」というテクストから
「無」を見つめて
創造する能力を許してもらえるのです。

私には、
すでに「戦後民主主義」の呆れ果てる欺瞞さは、
無血開城して幕藩体制を滅失させ、
明治維新を打ち立てた当時の体制者たちから、
現代にまで引きずっている戦勝者。
彼らによって書き続けられている
想像力欠乏者たちの謀議としての歴史観です。

この歴史観を真正面から見つめ非難し、
私の品性としての美学に反射させれば
モノに宿すデザインの力が生まれるのです。
歴史の「失」を「無」に変換してこそ、
美学を成立させることこそ「デザインの基軸」でしょう。


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『資本主義からの逃走』
 「松柏後凋と詠んだ哀しみ」


   


     9月 30th, 2009  Posted 12:33 AM

出典は「論語」です。
「子曰く歳寒くして松柏の凋=しぼむに後=おくるることを知る」

これは、松や柏、柏も檜の一種のコノテガシワといわれています。
松も柏も常緑樹ですから、
冬になっても、葉っぱが散ることはありません。
つまり、冬という季節になってもそうした常緑樹の姿は不変です。
このように、人間も、危機受難を直視したとき
初めてその人の真価が問われるものです。

冬は、樹木が落葉しますが、
松柏の青緑濃い姿は、混乱している時代にこそ、
その人の信念を表しているというメタファーです。

「安政の大獄」(wikipeda)で、橋本左内は斬首されました。
26歳でした。
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米国から黒船でペリーが現れました。
徳川幕府は開国を迫られました。
尊皇攘夷と徳川家の世代交代での将軍跡継ぎ問題や
公家の様々な陰謀、何重にも複雑な問題の中で、
「国家体制の国際的指針」を明確にしたのは、橋本左内でした。
幕末の志士たちへ、そして適塾(wikipeda)の仲間への
このメッセージを
最も怖れていた井伊直弼(wikipeda)は大老に就任と同時に、
橋本左内こそ政治的危険人物とし、
斬首を思いついてしまったのです。
彼は、侍ですから、せめて切腹のはずが、
斬首という指令こそ独裁でした。よって、
「桜田門外の変」(wikipeda)で、井伊大老は暗殺されます。

この実情を福沢諭吉は傍観を決め込んでいました。
傍観することで、彼なりの意志決定をしていたのでしょう。
一つは、すでに蘭学ではなくて英語が必需だと分かっていました。
しかし、英語は当時、幕府の厳重な管轄下にありました。
だから、幕府を利用しなければ自らを修練はできなかったのです。
そして、1860年の「咸臨丸」(wikipeda)勝海舟(wikipeda)によって、
太平洋を横断し、通商条約締結に向かうことも知ってしまっていました。
「咸臨丸で海外へ」という思いで、
「安政の大獄」は無視せざるをえなかったようです。
しかし、適塾仲間の処刑を十分に知りつつ、
それでも渡米した気持はどうだったのでしょうか。
少なからず、「自虐感」にさいなまれていたと
私は思いたいのです。
だから、彼は勝海舟を批判し、
ワシントンには行っていないのです。

橋本左内が辞世の句で、論語を引用して、
「苦冤洗い難く、恨み禁難し・・・・誰か知らん」
と言い放った相手は
福沢諭吉のように幕府に臥していた人物たちだったはずです。


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『資本主義からの逃走』
 「日本の哀しみ、松柏後凋の心を語り継ぐ」


   


     9月 29th, 2009  Posted 9:36 AM

私は、米国内でも「資本主義の失敗論」が
最近は語られ始めていることに、多少、期待感があります。
しかし、それらは大きな間違いの論評が多いと感じています。
彼らは結局2008年に資本主義が失敗し失速状況に入っている.
と考えているのが余りにも多いことです。

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米国は、二大政党の入れ替わりによって、
自国の利得主義を第一義にし、
世界の先導国家意識に浸りきっています。
けれども私は、
日本人ゆえの、三つの争点を上げておかなければならないでしょう。

●「情報化時代の到来によるポスト工業下意識主義の終焉」は、
まず、西ドイツで予測(=意識社会化)されていたという事実を、
米国が主導したという勘違いがありました。
そのことは東西ドイツによって
「ベルリンの壁の崩壊」(*Wikipedia)=「社会主義の終了」になっていったのです。
実際的にもこの時点で、資本主義も終焉していたのです。
そのことに気づくことない金融工学という幻想学識の拡大と実践に、
資本主義のさらなる進歩というこれは妄想に米国は取り憑かれていきました。

●次に、共和党の「保守性」は、これも米国主導での中近東対策でした。
それは、天然ガスの剥奪戦=テロとの戦いとしていく9.11事件で、
さらに彼らは、その「保守性」の強固な保全、口実の明白さづくりに入っていきました。
その反省があったにもかかわらず、
今度は民主党の「保守の保全」がいかにも「革新」と言わんばかりに
アフガンのベトナム化再来に向かっています。

●そして、疑似資本主義である「市場経済主義」という社会主義を
中国全国民に隠避している中国の台頭は、
米国の予想以上であったのではないかと私は推測しています。

はてさて、この三つの誤認識を真正面から米国に指摘できなかった日本は、
アジアでの存在感を失って取り残されているという次第です。
「誰か知らん、松柏後凋の心を」と私はもう一度、
書き改める役割を感じています。
この役割は、橋本左内の辞世の句を持ち出すことです。
しかも、この重圧を生涯持ち続けなければならなかった福沢諭吉の存在です。
その代表的著作「文明論之概略」に集約し、
そこで語り残せなかったことにまで遡及しなければなりません。

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『資本主義からの逃走』
 「日本の哀しみは松柏後凋の心なり」


   


     9月 28th, 2009  Posted 11:59 AM

左翼=サ・ヨクが「保守」となり、
保守=ジミ・ンが「革新」を望んでいます。
わが国のこの真逆現象を
私は、「クロスカウンター現象」と名付けました。

この真逆現象は、
敗戦に縛り付けられた両陣営の
「後ろ髪をひかれたままの無念さ」に他ならないでしょう。
その無念さの質に大きな隔たりが有り過ぎるのです。
しかもすでに、
日本民族の「伝統的な美学で継承されてきた倫理性」を
失ってしまいました。

歴史を戻せば、
わが国の明治維新直前を私は検証しています。
それは、日清・日露、
そして二つの大戦へと引き込まれてしまった民族意識の変化でした。
この文脈が基盤となって、
敗戦時に大きなトラウマによって、
日本民族は二分された哀しみに他なりません。

「誰か知らん、松柏後凋の心を」
という心情が私には重なって見えています。
私は、これを書き残す作業の核心に
「デザインによる美」で、
このトラウマをデザイン思考によって解放していく覚悟です。

私の立ち位置は、日本人としての
「伝統的な保守原則の理念」を保持するデザイナーとしてです。


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『資本主義からの逃走』
 「戦後民主主義の脆弱性はクロスカウンター現象である」


   


     9月 25th, 2009  Posted 7:10 PM

「自由・平等・愛」が
どれほど人間・世界観として語られてきたことでしょうか。
しかし前述したごとく、
「自由」と「拘束」は表裏一体の関係です。
「平等」は必ず「差別」でつぶされてきました。
そして、「愛」は「暴力」によって、
その「愛」を逆強化することが起こります。
「愛」と「憎悪」が交互となる感情を呼び覚ます野性を
人間は捨てることができないということです。
「拘束し差別し憎悪による暴力」の制度こそ、「戦争」だったのです。
その最終兵器が「原子爆弾」です。

わが国だけが、その原爆被災国ですから、
「民主主義」が「原爆」を覆い尽くす論理力すら持ちえなかったことを
日本人は一番理解していなければならないのです。
イデオロギーとしての「原爆保持による抑止力」に
「民主主義」は完全に屈していることを認めなければならないでしょう。

にもかかわらず、「戦争」への徹底した反省に、
べったりと「民主主義」が最適解とされてきました。
理由無き正当性を認めてきたのです。
ならば、「民主主義」は
「拘束」・「差別」・「暴力」を消滅させる「力」を有していたのでしょうか。
この問い直しこそ、
今、人類がイデオロギーとして絶対解だった「民主主義」を
再考熟考するべき時に至っていることを証明しているのです。
幸いにと言っておきましょう。
「戦後民主主義」というわが国には、
その脆弱性が憲法・防衛・平和観に取り憑いています。
なぜそんな脆弱さをわが国は背負ってしまったのでしょうか。
私は、それを「クロスカウンター現象」と呼んでいます。

つまり、左翼といわれる本来、「革新」をめざすべき陣営は、
いつまでも自虐史観と与えられた憲法9条にこだわり、
保守であるべき陣営は、戦後民主主義に「革新」を、
というクロスカウンター的な真逆現象に陥っているからです。
左翼は、社会主義が資本主義に敗北していることを「革新」に変えようとし、
保守陣営では、自由競争を公認できうる資本主義の正当性をバックに、
「保守理念の原則」という本来の歴史的かつ伝統性の意義すら忘却していると私は判断しています。


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『資本主義から逃走せよ!』
 「民主主義はすでに終わった!」、と思う・2


   


     9月 24th, 2009  Posted 8:26 PM

「民主主義」は
理想的なイデオロギーであったのでしょうか?
私は、二つのとても怖い文字から、
「民主主義」をとらえ直しています。

「民」と「幸」という漢字です。
「民」とは、目に針を突き刺して盲目にした人々という原意があります。
これが意味するのは、
支配層が、大衆あるいは民衆という被支配層には、
「何も見せない、知らせない」ということだったわけです。
「市民」という言葉は、この情報遮断をしながら、
あたかも、「何もしらないあなた方」が主役=民主という制度こそ、
政治形式の理想としてきたことです。
わが国が、侍時代=ある種の軍事政治支配制度から
明治維新を成し遂げました。
それは、民衆の「平等と自由」=そのような幻想は人間社会にはありえないことを、
西欧列国との同列化によって
独立性を内外に広報する手段にすぎなかったのです。
決して、「民主主義」への確信も確約も「国民=市民」にはしていません。
日本国家の伝統性に根ざしていたものではなかったはずでした。

「入欧脱亜」を掲げることで、
わが国は、当時の政治家や学識者の知恵では独自に制御することができなかったのです。
そうして、二度の世界大戦に入らざるをえなかったわけです。
結局、敗戦・敗北は、いわゆる「戦後民主主義」として、
なんでもかんでも「民主主義」という言葉で、片付けてしまいます。
「民主主義」と言えば、
すべてが「思考停止してしまったわが国」が取り残されていることに
もう、気づく時期になっているのではないでしょうか。

もう一つの文字「幸」は、
人間の「しあわせ」は「不自由さ」にあるという意味を持っています。
「幸」は両手を縛られた象形文字です。
両手を縛られているというのは「不自由」であることを指示しています。
そして、「幸不幸」という名辞が中国の古典に登場します。

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もし、断崖に立たされていて、
後から突き落とされても、
「生きていれば幸と言い、万一、死すれば、不幸と言う」
という解説が残っています。
つまり、人間は、生まれながらにして、
「幸」の文字が表すように、「不自由な存在」であるということです。
東洋の思想の原型あるいは原点には、
自由な存在としての人間観は無かったのです。
けれども、民主主義を支えた思想の基盤には、
キリスト教の教条が配置されています。
「自由・平等・愛」という人間の理想です。
しかし、「自由」は「拘束」によって制御され、
「平等」は「差別」によって人間社会を階層化し、
「愛」は「暴力」を引き込む人間の野性を呼び起こしてきました。
この総体的な攻撃性こそ、
「戦争」という歴史制度を繰り返しているということになります。

私が参考までに読破した関連図書です。
この四冊が入門編でしょう。
そして、こうした書籍が完全一致しているのは、
「民主主義のあやしさと、この言葉で呪縛され思考停止に陥ってる」
という現状のわが国です。

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『資本主義から逃走せよ!』
 「民主主義はすでに終わった!」、と思う・1


   


     9月 20th, 2009  Posted 12:01 PM

「政権が変わりました」。

時代が変貌していく気配を感じ取ること、
これを「景気」と言います。
私たちは「不景気感」から解放されるのでしょうか。
私は、「政権交代」がそれを成し遂げてほしいと一応は望んでいます。
ただ、日本人は、郵政選挙や今回の政権交代という大きなうねりに
即効、反応する「揺れ方」こそ、日本人の大きな欠点であり、
良い方向の選択であったなら、長所だったのかも知れません。

「不景気=depression」です。
「depression=鬱病」を意味します。
医学術語であることから、不景気というのは、
人間感情がそのまま社会的な生理に病変的要因が
覆い被さっていることは明らかです。

しかし、「政治」や「経済」という領域がそれを癒し治し、
社会生理の健全さ、その獲得を成し遂げることなどは、
もうわが国には失なわれてしまっているのではないかと考えています。

それには大きな理由が三つあります。

● まず、「政治」という手法・手段は、まったく時代との連鎖、
つまり、科学・技術芸術などの高密度な進歩とは隔絶していました。
あらゆる領域との学際化や、
横断的な相関性も図ることなくその職能を進化させてこなかったことです。

● 次ぎに、「資本主義が終焉」しているにも関わらず、
「資本主義の次の経済=経世済民哲学と世界変革」を
誰も学識者が構築しようとしていません。その勇気が無いのです。
特に政治学者、経済学者にこの気概と能力の欠如を見ます。

● 最後が、わが国の「自虐史観」を捨て去って、
わが国の伝統的な文化的倫理意識から
「民主主義を疑う」という世界観を持つという覚悟を
謀議的に廃絶してきたことです。

私の立ち位置は、ここにあります。

したがって、ここでの「資本主義からの逃走」は辞めます。
「資本主義と民主主義への決別」に変えていくことにします。
そして、何よりも私は、強く自身の下意識主義には、
日本史観の連続した問題意識を強く残しています。
それは、「安政の大獄」から、「明治維新」、
「日清・日露」、さらには二度の世界大戦、敗戦、
現行憲法を「独立国家として」書き改めない限り、
今日の「連綿連鎖した景気史」を政治や経済には任せられない、
というデザイナーとしての責務を感じているからです。

「たかがデザイン」ではありえません。
「されどデザイナー」ゆえに、
「かたち」に性能と効能と機能が生み出す「」に、
「景気観」を仕組むことができる唯一の職能家だから、
その役割を果たそうと思っているのです。


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『資本主義から逃走せよ』
 「かわいい・カワイイ」はデザインにあらず!
  大誤解の産業活性施策はかわいくない!


   


     8月 21st, 2009  Posted 10:42 AM

「米国ツアー・その2]

米国ツアーの報告はこのブログで、と考えていたのですが、
帰国後もスケジュールがいっぱいでした。
特に、大学での講義や、学位指導。
大阪大学大学院からようやく工学博士を一人輩出。

さらには、デザイン界での役割を努めました。
これは「グッドデザイン賞審議委員会」にて、検討委員会を新設しました。
>グッドデザイン賞審議委員会、「あり方についての検討委員会」を発足

これは、いつか、なぜ、新設しなければならなかったのかを
記述しておく必要があると考えています。
デザインコンペなどの審査が連続していました。
こうしたことの連続の日々でした。
やっと、本当に久しぶりにこのブログに向かい合う時間がとれました。

米国ツアーでの様々な経験の中で、
私が常に意識していたのは、三つありました。

まず、最初に、「デザイン」はいまだに、
「芸術家きどりの話」にすぎないという印象があったことでした。
私自身、美術大学出身ですが、油絵なんぞは描いたことすらありません。
彫刻は彫塑といって、工業デザインの基礎造形として学んだ程度です。
それでも、西洋美術史と日本美術史はメチャクチャ大好きです。
ただし、これは大学を卒業してからのことで、
大学時代には、本当にすごい教授たちに教えられていたのに
気がつかないという有様でした。

私は、「デザイン」はすでに、科学であり、技術であり、
さらに芸術の進化形だと信じていることです。
すなわち、「デザインこそ学際性が実務となっている」、のです。
さらに「デザイナー」というプロフェッショナル性への
大誤解がまだまだ蔓延しています。

これは常に私が主張している
「デコレーション」=「デザイン」と思われていることです。
確かに、デザインにはデコレーション的な要素の表現性が必要な場合もあります。
が、決して必要条件でも十分条件でもありません。
「デザイン実務」は、デザイナーと自称する人の本当の能力評価ができます。

だから、「デザイン実務」には、
むしろ、「簡潔性」・「清潔性」・「倫理性」は必要十分条件です。
たとえば、今やNHKですら、「かわいい」という言葉、
ひょっとすれば、コンセプトともおぼしき言葉を流行現象として、
すでに「世界語」だと放送しています。

もっと、日本語として重要な文化的な言葉、その深度を放送してほしいと思います。
ところで、明らかにこの「かわいい」ということば、
その周囲には「デコレーション」が取り囲んでいます。
しかし、この「カワイイ」は、フランスのファッション現場では、見事に拒絶されています。
「カワイイ」を世界語として、経済社会へ進出の手がかりにしようというのは
とても、浅はかで、日本本来の伝統文化への反逆だとさえ私は指摘しておきます。

私は、米国ツアーでNew Yorkに滞在しましたが、
まったく講演準備に追いまくられていて、出かけたのはApple Storeでした。
ここで、幼児と思われる子供たちほとんどが熱中していたのは、
『WALL-E』でした。

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すでにブームも過ぎ去っているとは思うのですが、子供たちの熱中ぶりに感心しました。
結局、私が買い求めたゲームソフトは、『WALL-E』でした。
そして、帰国後、
今や私の傍らにはこの『WALL-E』の最も低価格の玩具が、声を上げて踊っています。
ロボット玩具=今、ロボットと称しているモノ、
そのほとんどが「玩具」以上のモノではありません。
さらに、ワシントンの米国日本大使館のみなさんから、
帰国間際にプレゼントされたのは、「クレヨンしんちゃん・グッズ」でした。


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